廃刊になってネットで活動して、また紙を出すという、ワイアードなんかもそうだけど
そういうことなんかな?と思わせる存在。
前からあるグラフィック志向は健在で、尚且つ今回はBEAMSについての号なので
それはもう得意分野ですよね、直球ど真ん中ですよね、というもの。
台風一過で気持ちの良い青空。風は少し吹いている。
アテスウェイまで女子大通りをてくてく歩いてケーキを買いに行く。休日はすごい混雑で少しうんざりするけれどモンブランがお目当て。
ついでに近くのカフェでお昼を食べる。J-WAVEがかかっていて、tofubeatsのメジャー第1弾の曲がTOKYO HOT 100の入っていた。初登場。
「DON'T STOP THE MUSIC」 TOFUBEATS FEAT.森高千里 13:15 http://t.co/lagbn2htMS
— J-WAVE NOW ON-AIR (@jwave) October 27, 2013
これは完全に自慢の部類に入るけれど、ちょっとだけ彼とやり取りしたことがあって、少しはその人となりを知っている気になっている。
当時は音楽を仕事にするつもりは無いみたいなことを言っていたのだけど、今それとは違う道を歩み始めている彼の振る舞いは、付き合うのがきっと面倒だろうオッサン世代からしてみても、とても格好が良いし羨ましい。世代間の争いなんかヒョイッと知らんぷりして、若い人達の世界で頑張って光り輝いて続けて欲しいと心から思う。世の中は若い人達のものだ。
ラジオから聞こえてきた、たった1曲の音楽で食事がより美味しく、日差しの眩しさがより新鮮に感じられるなんて、音楽の力はなんて素晴らしいものなのか。
台風は思ったよりも大変なことにならないで済みそうな気配。雨も降ったり止んだりでそこまでじゃなかった。
レンガ館のドラマが終わる。業態を変えてカフェになるらしい。
CDやDVDのレンタルはTSUTAYA一強なのか、それともレンタルそのものが需要が減っているのか、きっとその両方なのだろう。20世紀から通っている店が無くなるのは切ないものだけど時代は変わっていくものだ。
思えば昔はもっと沢山レンタルの店があった。33も最初の頃はレコードのレンタルやってたような記憶がある。今はもうネットの時代なんだろうなぁ。
いまさらGEOの会員になろうか考えている。
気温が下がって風も吹いた。秋というには随分と寒い。その割にまた台風がきている。
A.K Laboでモーニングを食べる。パンとタルト、ヨーグルトか牛乳プリンのようなチーズ、はちみつかジャム、フルーツと飲み物で600円。クロワッサンが美味しくて好きだ。
前あったところから五日市街道沿いにムーバスの道を越えてすぐのところに引っ越した。吉祥寺本町から中町への引っ越し。広くなった店内はキレイで天井も高くて気分が良い。
場所が駅から離れているので、雑誌を見てわざわざモーニングに来る人はいないだろうけれど、近所の人にとってはかなりいい塩梅。客層もそうなるときっといい塩梅。
仕事でしばらく原宿の竹下通りにある事務所で働いたことがある。朝はファーストフードと牛丼屋とコンビニしか開いてなくて、修学旅行生がきっと自由行動開始と同時に来ちゃったのだろうけれど、行く所がなくてキョロキョロするのを何度も見た。原宿に朝9時前に来ても何にもやってないですよ、ってのは知らなければ当然分からない話だし、そんなアナウンスもあるわけも無い。東京に修学旅行に来て9時台から自由行動で出発みたいなのもどうかと思うのだけど、その土地によって時間の流れというのは数時間くらいは平気で動くものだ。
吉祥寺でも最近、ミュンヘンやダンケなんかでモーニングをやっていて、休日はともかく、平日に利用する人はきっと地元の人が多いのだろう。いせやが昼間から営業する土地なのを思えば、もっともっとそういうのが増えるといいなぁと思う。徹夜明けの午前早い時間に牛丼屋に行ったり、スタバなんかでコーヒー飲むのもどうかと思う、なんていうのが贅沢に入るのかどうか。
秋の爽やかな風だけど、台風のせいか雨の影響か湿気があって少し蒸した。
成蹊大学のオープンキャンパスをやってたらしく、図書館のブラインドが開いていて人が動いているのが見えた。
今年のあたまくらいにツイッターなんかで話題になっていたけれど、急に出来たわけでもないので知っている人にとっては今更感は強かった。近未来感だとか揶揄してるご意見も時制のズレがあるわけで、どれだけ過去の人なのでしょうか、なんて思った記憶がある。
もちろん自分にだって、そういうことがあり得るというのも含めて。
でもまぁこうやってオープンキャンパスで見せているってことは、ひとつのウリなんだと思う。CCCが関係して来場者が増えた図書館もあるわけで、図書館は本がウリってわけじゃないですよね、なんて、グルメ気取りが「フレンチはやっぱり絨毯にこだわりたいです」なんていう、そんなこと言ってまでモテたいのですかね?的な方面の話ではある。知的財産とはなにか。
選挙に行ってPARADAでカレーを食べる。
オープンキャンパス帰りの子が「あーカフェなんかもあるんだー」なんて言いながら歩いていった。その向こうの牛丼屋さんが閉店したから、確かにトータルではおしゃれっぽいお店の方が多い印象になったのか。
ルーエでスタジオボイスを買う。BEAMS特集。実質コラボマガジンみたいなもの。
廃刊になってネットで活動して、また紙を出すという、ワイアードなんかもそうだけど
そういうことなんかな?と思わせる存在。
前からあるグラフィック志向は健在で、尚且つ今回はBEAMSについての号なので
それはもう得意分野ですよね、直球ど真ん中ですよね、というもの。
ネットの普及が原因だと思うのだけど、どんな物事にも文字で批評なり解説なり感想なりが付随するようになった。そしてそれが現代社会に生きる人間の習慣のひとつ、のようなものになりつつある。たとえそれを自分がしなくたって、他の誰かがネットに書いてるだろう、なんてことを思ったりするし、実際そういうことが多い。マジョリティであればあるほどそういう傾向にある。あまちゃんとか。
それは、そういう情報消費という行動なんだと言ってしまえばそれまでなんだけど、ただただ紙をめくって、そこにある写真や文章をへええって眺めるだけの行為が、どうにも薄っぺらい、なんか損してる、何かアクションしないと、みたいな錯覚を受けるようになったんではないか、なんて考えたりする。
ネットならもっともっと、いくらでも情報が取り出せるし、それがすごく簡単だ。いくら編集されたとはいえ紙の雑誌をめくるのはかったるいし、その割に内容は足りないし、どこか勿体無い。マウスのホイールを回せばあっという間に終わってしまうような物にお金をだすなんて!みたいな感覚。
これは、必ずしも間違ってない。ただその一方で、では情報が沢山自分の思うようにあれば満足か?という疑問も浮かぶ。
誰かに編集された抑制された情報を楽しむことだって自由だし、誰かの編集作業によって受ける何かしらの心地よさは、自発的に探さないといけないネットではなかなか味わえない種類の快感だ。誰かがわざわざ時間と手間、経験とアイデアを駆使して編集してくれたものを、たいして咀嚼もせずに眺めて時間を潰す。なんて贅沢な行為なのだろうか。揺り戻しが起きることに期待する。
今、スタジオボイスがBEAMSを特集するというのは、もしかしたらまたそういう空気かくるんではないか?なんてフワッとしたことを感じた。そういった社会の感覚が過去にあったような気がするし、もしかしたらその頃のような時代に戻りつつあるのかも知れない。その時代というのは具体的にいつなのか?高度成長期なのか?バブル期なのか?90年代なのか?
あまちゃんで春子が灯台の根元にラクガキした憧れの東京が、今はもうなくなってしまった、もしかしたらもう二度と帰ってこない、ひょっとしたら元々存在しなかったかもしれない、東京の輝きの一部がそこにはあるのかも知れない。そんな気がした。
もうそういうのはいいからと疎まれる老害のノスタルジーで無いことを祈る。
昼から雨。台風の影響かけっこうしっかり降る。
今週末は市長と市議会議員の補欠選挙で、選挙カーがグルグル回っている。
政治に関しては色々面倒な話だとは思うのだけど「空いた土地に大型店舗が進出してきて、ついにはドンキホーテまでやってきた。終電が25時過ぎなんだけど、その時間でもまだ営業しているお店が増えた一方で、すぐ近くに警察が警備している所があるのにも関わらず、地元の子供とそのツレに金欲しさに殺害されてしまった事件が起きた街」なんて風に、そりゃ多少わざとな部分もあるにせよ全部事実って状況を並べた時、市長選とか市議会議員選って言葉に対しての気分が変わったりするかな?しないかな?なんて考えたりもする。
政治だけじゃないのだけど、何かおかしな状況になった時に「どうなっているのですか?」という確認は取りやすい方が絶対に良い。電話だと通じなかったりするし、出来ることなら対面が一番良いって考えるのは自然だと思うのだけど、この感覚が何故か政治になると無くなってしまうマジックがどこかにあるみたいだ。
「あなた市長の宣伝カー運転してたけど、今の市長のやり方、どうなっているの?もう関係ないの?」なんて言われたらどうしよう…ってことで萎縮しちゃいけないけれど、政治に関心を持つって時にはそういうコミュニケーションが増えた方が絶対良いわけで、でもでもそういうの面倒だって気持ちも良く分かる。煩わしい。
そんな考えのループを解決するのが選挙カーでグルグル回るってことなのかもなぁ、なんて思ったり。廃品回収車よりスピード速いから、すぐいなくなるし。