近鉄裏の浄化が止まってるのかどうなのか2018-11-21


近鉄裏は道路を広げたり駐輪場やマンションやビルを建てたりして少しずつ風俗店を減らしていく方向で進んでいるんだろうけれど、ある所で止まってるような印象がある。
残っているお店はスカスカになっているので角度を変えて見ると随分と年季の入った建物なことがわかる。条例だとか法令だとかそういうので再建築が難しい状態にして結果的に立ち退くことを狙っているんだろうけれど、粘り強く残っていて割と面白いなあと思って見ている。
治安がとか子供の影響がとか色々あるのだろうけれど、生き物としての街の行く末がはっきり見えない状況は、これから何かしら格好がつくところまで進んでしまうと全く見えないものになってしまう。
中道通りの入り口に西公園の向こうにあるようなゲートがあったことなんて、今になると信じられないし、熊川哲也のバレエ教室があったビルも気づくと壊されていて何階建てだったのか思い出せない。

代表・J2・JFL2018-11-18


週末にかけてサッカー関連で色々なことがあった。

代表戦

金曜日の日本代表戦の前日会見で3バックを試すかという質問があったそうだ。


この朝日新聞の人が質問したのかは分からないのだけど、戸田和幸はそういうことが話題にのぼることが残念と言っている。なぜ残念かはあえて言っていないような気がするけれど、これは「日本代表がやりたいこと、やろうとしていることをメディアが理解できていないのかも知れない」ということだとしたら、割と切ない話なんじゃないだろうか。多くの人が注目する事柄を説明する側が理解できてないなんて、滑稽だ。
ここ数年、サッカーという競技の分析が進んで、今まで何となくやってきたことが明確な言葉で説明できるようになったことで、競技の意味合いや内容が随分変わってしまった。その変化を観衆が仔細に理解する必要は無いけれど、競技の細かい部分を確認するためには知識のアップデートが無いとまるっきり意味不明な感じになってしまいがちだ。
きっとそういう前提があった上で今さら4バック3バックというのは攻める時守る時、状況に応じて選手の並びを変えて対応するだけでスタートポジションの図でディフェンスが3人か4人かに大きな意味があるわけでは無い、という認識が共有されていなければ、そりゃあ残念だと思うだろう。

J2最終戦

町田ゼルビアが自動昇格枠の1位、2位に入ることでJ1からの降格チームが1チーム減るという大きなボーナスが期待された。結果は4位。J1からの降格は2チーム+1になり、昇格プレーオフのトーナメントの組み合わせが変わった。
J2最下位になってJ3降格になったカマタマーレ讃岐の北野監督の会見が胸を打つ。

北野誠監督 退任会見 全コメント
https://www.kamatamare.jp/news/?id=281&item=INFO

JFLにいた時は武蔵野陸上にも来たことがあるカマタマーレ。東京武蔵野シティFCは横河グラウンドという練習場が確保されていて、人工芝の張替えで使えない時期も成蹊大学のグラウンドを借りて練習できていた。カマタマーレは未だに専用の練習場が無い。サッカーを取り巻く環境は地域によってそれぞれだけど、それでもやはり最低限というものはあるはずだし、間に合うまでの辛抱が必要なこともあるかも知れないけれど、それでもやはり辛い。
JFLのチームを見ていると、このリーグを通過してJリーグに行くんだという熱量をもつチームと対戦することがある。サポーターも元気だ。そういうチームが上に行ってどうなっているか、割と冷めた目で見ている。
武蔵野がJ3を目指すといってもそれで良いことがあるのかが分からないのはそういう現実があることを知っているから。現実は厳しいと言えばそれまでだけど、夢や希望、情熱では何とも出来ない部分が見えてしまうのは辛い。

JFL最終戦

西が丘に行きたかったけれど前日の仕事の余波で無理だった。また来年もJFLの試合が近所のスタジアムで見られることは幸せだ。Jリーグを目指すという掛け声は引き続きなんだろけれど、それとは関係なく池上監督になって面白いサッカーが出来ているので来年も楽しみだ。

岡田武史氏「責任明確に」今治J3逃し報酬返上も
https://www.nikkansports.com/soccer/news/201811180000766.html

FC今治は来年もJFLで、財務が大変になるらしい。そもそも監督の話でなくオーナーが出てくる時点でアンバランスだ。FC今治は3バックを試さないのか。もしこれと同じ内容をカマタマーレ讃岐でやったらどうなるのか。

夢を実現する為に無理をしてしまうのは仕方が無いことだけど、その結果がゼロになってしまうのは寂しい。東京武蔵野シティがそうなってしまうと考えると切ない。どういう形式であっても存在しつづけることも一種の勝利だ。