3月19日井の頭公園2011-03-20
地震があってから1週間が経った。もう1週間、まだ1週間、どちらとも言えるけれど、逆に1週間という時間の感覚がよくわからなくなっているのが正直なところ。その間、色々な情報が錯綜し、実際に停電や節電があり、予定が変更され、気持ちが大きく揺さぶられる事柄が起きた。
土曜日の朝、ほぼ24時間震災情報を放送しつづけたNHKでは朝の連続テレビ小説が再開された。世界遺産の番組が放送された。わずかではあるが日常を戻しつつある週末。
前日にSNSで近い友人に呼びかけて、井の頭公園で会うことにした。特に時間も決めず、出欠もとらず、なんとなく集まって、なんとなくお菓子やお茶やお酒が飲めればと思った。その間にも色々なことが世界では起きる。自分以外の事柄がどんどん流れる。でも、今の自分を取り戻さないことには、自分以外の世界と対峙することも出来ない。人と会うこと、話をすることで、少しは自分を取り戻すことが出来るのは無いか、猫の集会を参考にしてみた。
お昼の井の頭公園は、いつもの週末より人が少なくて、のんびりとした雰囲気だった。理由は想像できる。
でも、そんなことを考えても仕方が無い。毎年この時期に吉祥寺特集をやっている情報誌、やっちまったなぁと、ヘンテコな方向に思いをめぐらせた。せっかくのお天気だ。
井の頭公園というと池周辺のイメージが定着しているけれど、実はそこからジブリの森美術館に向かって広がっている。
吉祥寺の駅から丸井の脇を抜けて、いせやの所を下りたら到着、では無くて、さらにそこから池を1/4周して階段を上がっていくと、週末の賑わいとは違った別の表情が現れる。
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ソメイヨシノとは違う種類の、早咲きの桜を眺めながら、だらだらとおしゃべりをする。おかしを食べる。ワインをこぼしたり、鼻をかんだり、フリスビーをした。なんてことは無い週末。大事な時間。
暗くなり、皆と別れて渋谷に向かう。そこそこに混み合った井の頭線。知り合いのイベントにお邪魔する。どうでした?大丈夫ですか?という一通りの確認よりも、会えたことがすごく大事だった。音楽が鳴っている最中にも大きめの余震。
ソファーに埋もれながら、DJがNYの停電や1995年に起きたことを話す。僕らは何も失ってはいないし、たとえ失っていても、お互いに補えあえるだけの貯えを持っている。モノだけでなく、気持ちについてだってそうだ。
1995年も今振り返ればおかしな年だった。2011年も、後で振り返ることが出来るようになる。そう思いながらイベントを後にした。
今夜は月がとても大きいそうだ。そういえばNHKでは大潮の情報をやっていた。