2018-01-31

2018-01-25

雪の積もったジブリ美術館はSNS的にどうか2018-01-23

ジブリ美術館は歩くの好きな人が井の頭公園に遊びにきて散策の途中や迷った結果でたどり着くくらいのことは合っても地元の人でもなければわざわざ行く場所じゃない。ましてや雪がどっさり降った後に行く人はSNSでいいね!をもらいたいくらいの動機でもなければなかなかいないだろう。
という風に考えるとSNSでいいね!をもらいたいという欲求は「甘いものが食べたい」とか「頭をなでられたい」なんかと程度の違いはあっても、そういう部類に入るものかも知れない。インターネットは始まっていたかも知れないけれど20世紀では想像もつかなかった何かだ。

2018-01-14

少しずつ南に飲食店が増えていく2018-01-13


いせやから向こう、三鷹方面に綺麗なビルが増えて気づくと飲食店が増えている。お酒を出す店の方が多いので昼間よりも夜の方が気づく。
中道通りもいつの間にか西公園まで人の足がのびたように、動物園の辺まで飲食店が増えたりしたら風景がまた違って見えるようになるのかも知れない。商業不動産の動きにあわせて街の景色が変わる、なんて言ってしまうと色気がまったく無い話。

この先に五日市街道があることは街ネタなのか2018-01-09


これが見慣れた風景の人には、この先に自転車屋さんなんかがあって五日市街道に出て郵便局があることが分かる。道を渡るとボルダリングジム。
どこの風景写真でもそういう、その場所を知っている人にだけ浮かぶ情報や情景があるんだなと思って見ると、自分が感じること以外のことがあるのが分かるけど、でもそういうのはあんまり意味が無くて不特定多数に訴えかける何かが必要だから、ありふれた所でもドローン飛ばしてみたりわざと白黒にしてみたりするんだな、なんてことをふと思った。

2018-01-08

2018-01-04

1月3日(水) 年賀状が社会的な抑圧として避けられているだけなんじゃないか説2018-01-03

日本の古くからの風習だと思われているものの中には、明治以降に生まれたものだけど錯覚でそう思い込んでいるなんてものもある、なんて話がある。クイズみたいなものだ。
世の中の事柄なんてそんなに深く知らなくても生きていけるわけで、原発事故が起きてからはじめて水を熱してタービン回して発電していることを知って呆れた割に、太陽光発電の仕組みを知ろうとしなかったりする態度をとって平気だったりするのもまた人間。そんなものだ。

で、年賀状。

明らかに郵便制度が出来る前には無かっただろうことは分かるわけで、そりゃあ時代の流れで郵便よりも高速にコミュニケーションがとれるようになれば、あんまり使わなくなるだけなのに、なんとなく皆がやっているからという理由から嫌になったりして、それはそれで日本人社会ならではの抑圧の中の出来事であり、夜の校舎の窓ガラスを割るように反発してみたくなる気分だって日本人のそれ、みたいに思える。挨拶は大事だけど面倒だよねってだけのこと。

SNSが普及して自己顕示欲を表に出す人を観測できるようになってからは、年賀状という古い風習はダサいけどシリコンバレーの友人から送られてくるクリスマスカードはクール、みたいな面白い人達の行動を眺めるのが好きだったのだけど、シリコンバレーでもカードを送り合うような風習が減ったのかここ数年はあんまり目にしなくなった。仲のいい人はSNSで済んでしまうし。

そんなことを思いながらデザイン系の会社が送ってくる不定形なニューイヤーカードなんかを眺めて、こういう手間をかけるならインスタントコーヒーのセットでも贈ってくれた方がいいのに、なんて勝手なことを考えた。それはお歳暮という古い慣習だ。