1月3日(水) 年賀状が社会的な抑圧として避けられているだけなんじゃないか説2018-01-03

日本の古くからの風習だと思われているものの中には、明治以降に生まれたものだけど錯覚でそう思い込んでいるなんてものもある、なんて話がある。クイズみたいなものだ。
世の中の事柄なんてそんなに深く知らなくても生きていけるわけで、原発事故が起きてからはじめて水を熱してタービン回して発電していることを知って呆れた割に、太陽光発電の仕組みを知ろうとしなかったりする態度をとって平気だったりするのもまた人間。そんなものだ。

で、年賀状。

明らかに郵便制度が出来る前には無かっただろうことは分かるわけで、そりゃあ時代の流れで郵便よりも高速にコミュニケーションがとれるようになれば、あんまり使わなくなるだけなのに、なんとなく皆がやっているからという理由から嫌になったりして、それはそれで日本人社会ならではの抑圧の中の出来事であり、夜の校舎の窓ガラスを割るように反発してみたくなる気分だって日本人のそれ、みたいに思える。挨拶は大事だけど面倒だよねってだけのこと。

SNSが普及して自己顕示欲を表に出す人を観測できるようになってからは、年賀状という古い風習はダサいけどシリコンバレーの友人から送られてくるクリスマスカードはクール、みたいな面白い人達の行動を眺めるのが好きだったのだけど、シリコンバレーでもカードを送り合うような風習が減ったのかここ数年はあんまり目にしなくなった。仲のいい人はSNSで済んでしまうし。

そんなことを思いながらデザイン系の会社が送ってくる不定形なニューイヤーカードなんかを眺めて、こういう手間をかけるならインスタントコーヒーのセットでも贈ってくれた方がいいのに、なんて勝手なことを考えた。それはお歳暮という古い慣習だ。