3月11日(月)2013-03-12
住みたい街、人気の街、吉祥寺も、ショッキングな事件や、そもそも外出がはばかられるような気候では、休日の客足がそんなでも無くて、ネットや雑誌の情報片手に迷いながらやっと到着したお客さん相手の商売では、ちょっと困ってしまったりする場面が多少はあったようだ。
その土地ごとに色々な条件がバランスして地域が成立していて、海の近くでは漁業や海産物加工をしていたり、発電所が経済の一部になっているところがあるように、吉祥寺は一種のブランド力を生かして外部から人を集めて商売をすることで地域が成り立っているという面は少なくないと思う。
つまり、それがある日突然無くなって、修復不可能になった時に、そこに暮らしている人はどうなりますか?あなたはどうしますか?という質問は、テレビやネットの向こうの人の話なだけでは無く、自分の身にも降りかかるということ。
先日食事をしていて、後ろの席の声がとても通る方達がどうも大学関係みたいで、なぜ私学が地方にキャンパスを作ったかという話をしていた。今は逆に都内に戻る方向なようで、それで人が来なくなってしまう恐れがあるというのはNHKでやっていたことを思い出した。
成蹊大学はきっとそんな簡単に無くなったりはしないだろうけれど、そうなったら少なくとも生朗は困るだろうなぁ、なんて。
2年前の震災については、現地の人の事を考えることと、自分のことを考えることが、まだまだ混乱している。
自分にとってあの震災は、自分が生きる社会は薄皮一枚めくると、猛烈に面倒な状況の上に成り立ってますけど、今はほら、ご存知のようにまだ大丈夫ですので、その時までは安心して安全な社会を楽しんでいてくださいね。その時がいつかは分かりませんけれど、それまでに出来ること、あるんでしょうかね?あんなにヤヤコシイ状況なんですよ。という事がリアルに突きつけられている問題だ。
これからも思い通りなことばかりでは無いけれど、一生懸命に生きよう。