ゲスの極み乙女。 達磨林檎2017-05-11

12月発売予定が延期になったアルバムがやっと出た。およそ半年延びた。
一昨年の暮れは紅白歌合戦に出て、新しいアルバムに武道館公演にと順風満帆だったのが、スキャンダル報道で一気にグチャグチャになってしまった。そんな中で作られた全部未発表曲のアルバムは、フェイクなのかも知れないけれど一連の騒動を想起させる歌が多くて、苦しい時間を創作活動にあてていたのだろうかなんて勝手に想像してしまう。そういう時にこそ歌はうたわれるもの、創作にむかうもの、なんて決めつけてしまうのもどうかと思うけど、でもそういう面は確実にあったんじゃないだろうか。問題になった中心人物は作詞作曲プロデュースを手がけているけれど、それについていったバンドメンバーやスタッフも大変だったろう。打ち込みを増やしてみたり、複数の女性ボーカルを入れてみたりと新しい試みも取り入れていて、それでもちゃんとゲスの極み乙女。のアルバムとして成立させている。あったかどうか分からない苦悩も含めて、ちゃんと新しいアルバムを作り上げたことはスゴイことだ。

こんな曲をまだまだ騒動が落ち着いていない時期に世に出そうと思っていたのだと思うと、延期になったのは結局良かったのかも知れないなんて考えてしまうけど、それは自分の中にある社会規範だとか正義だとか、自分はいいけど他の人はどうかな?なんていう無責任な社会を作り上げる手段、そういう部分を刺激するという意味でとてもロックだ。ゾクゾクする。

色々なことがあった。
大衆芸術とテレビを中心とした芸能経済との軋轢、たとえ大衆向けだとしても存在する芸術分野への不理解や勘違い、SNSに代表される不必要な意見表明の大きな波や新しい社会。人をバカにしたような名前のバンドが起こした騒動は捉える人によって見え方は随分違うものだけど、たいていの人の人生には大きく関わってはいなくて仮に不快であったとしても「無視すれば良いじゃないですか」ですまされる話だ。
Awesome City Clubのメンバーが言葉を選びつつも相当のんきな事をツイートしていてとても印象的だった。

自分達がやっている活動の範疇から色々なものを飛び越えてしまった状況についての感想だと思うと、見えている風景が違うことがよく分かる。そして飛び越えてしまった人達の心象もきっと全然違うものだろうし共有することは無理なんだろうということも想像できる。知らなくても良いことだし、それを勝手に考えて勝手に怒るみたいな趣味の人達がいることも理解する。今はそういう時代だ。