東京オリンピックがいよいよはじまる2021-07-23


吉祥寺駅の床もオリンピックになっていた。
色々なことがあって街のあちこちでオリンピックが目にとまることは少なく、開会式はまだ色々ありそうな気配さえあるけれど、もうすでにソフトボールとサッカーとボートとアーチェリーは始まっている。
開会式でオリンピック中止を仮に宣言するなんて大ハプニングがあったとしても、それらの競技者はすでに出場していて、記録も残っている。ハットトリック決めた選手もいる。

JFLというアマチュアサッカーの最高位カテゴリーを日常的に見ていると、知名度や人気なんかとは無関係に人生の中に競技がある人の存在を意識することが多い。
テクノロジーの進歩やコロナという状況もあって今ではJFLどころか関東リーグでさえ試合をネットで見ることが出来るし、SNSを頑張れば多くの人に自分たちのことを伝えることが出来る。それでもプロじゃない人はサッカーとは別に仕事を持っていて、生活の中での両立なんてことを当然のように考える。

これはサッカーという「サッカー殆ど知らない、オフサイドとか分かんないし」なんていう、オフサイドという分かんないけどルールがあることが知られているレベルの競技でもそうなわけで、例えば「近代五種」なんて5つの何かがあるんだろうとしか分からない競技をやっている人が職場にいたら、親戚にいたら、なんて声をかければいいのだろうか?逆に気を使われるのが悪いので競技のことは話さないようにしていることもあるのではないか?なんていう日常とスポーツの境界線のようなことを考える。

そういう色々なことを考えるタイミングとしてオリンピックはあっても良いと思うんだけど、そういうことと全然関係ないところで色々がおきるのは、まぁ切ないよなあ。

開会式とか親戚にオリンピック選手が出たら競技の話より開会式見たよ!とか言えるから良いのかしら。それ言われた選手も話しやすくて楽かなって思うんだろうか。何かから逃げてるような気も少しする。