3月22日(水) 映画という存在の変わらなさと周囲の変化2017-03-22

どうしてもここの通りに映画館ができるイメージに現実味がない。

「映画」という言葉はそれなりに共有できている気になりがちだけど、実は人によって意外と違う存在な気がしている。
ミニシアターなどと呼ばれる映画館だと、大き目のプロジェクターを使ってデジタル映像を流すこともあって、古くからのフィルム映画とはテクノロジーがまったく違ったりする。再生装置もPlayStationを使う所も、なんて話がある。金持ちの個人上映会の方が設備が良いかもしれない。
それでも興行として、世界中まだどこにも存在しない映像やストーリーを上映して、そこへ行かないと体験できないなんてことがあるわけで、そういった場所としての機能は設備や広さとは無関係なのだけど、それこそいわゆる「単館モノ」が苦しい状況なのは今にはじまったことでは無いし、興行成績なんかを前面に出して宣伝しちゃうのはもっと他の需要があって欲しいけど実際そんな無いからなんじゃないかな、少なくとも商業的な部分では、なんて現実がある。もちろんそれで続けられれば良いのだと思うけど。

なんだか毎回おなじ結びになるなあ。
文化は金じゃないかもだけど、文化的活動には金がかかるということ。
突き当りのLOFT、ずっと前は西武スポーツで上から下までスポーツ用品ばっかり売っていた建物なんだよね。そんなので大丈夫か、と言えば実際そうじゃなかったわけです。スポーツも文化なんだけどね。

連休あるあるで気づけば水曜日。雨上がりで天気が良くて桜もつぼみが開くのを待つばかりだ。