カメラ・トーク/Flipper’s Guitar
TBSのドラマ主題歌からはじまる、Flipper’s Guitar最大のポップアルバム。
偶然のナイフ・エッジ・カレスは、9曲目に収録されている。
編集プロダクション、あひる社の吉本真一さんと、チャットを使ってお話をした。
大まかなテーマとして「編集」にまつわる話ができれば…なんて思っていたのだが、そこは本職の編集者、慣れないチャットでうまく話をまわせるだろうかなんて心配は、結果的にリードしてもらうことで問題なく解決していた。さすがだ。
逆に寺沢の方が多めにしゃべっている気もしないでは無いが、まぁ、その、次回がんばります…
ということで、チャットでのお話スタート。
吉本:お疲れ様です!こちらはいつでも大丈夫です。
寺沢:では、よろしくおねがいします!
吉本:こちらこそ、よろしくお願いします!
寺沢:吉本さんのあひる社は、編集プロダクションという位置づけだと思うのですが、実際のところ、本や雑誌を出す時に、どういう仕事をされるんですか?
吉本:さっそく本題ですね。
寺沢:すみません、なんか慣れない感じで…
吉本:いえいえ。ではお答えします。
寺沢:はい。
吉本:「中身」をつくってます。最近はみなさん「コンテンツ」って言ってますよね。それです。
寺沢:実際の「記事」の部分ということですね?
吉本:そうですね。
寺沢:出版の方も「コンテンツ」って言うんですね。
吉本:ああ、これってやっぱりコンピュータの世界からの影響ですね。すごいなー。
寺沢:以前、音楽のことをネット関係の人が「コンテンツ」と呼ぶのは嫌いだと言う風な文章を見たことがあります。
吉本:ああ、わかります。すごく同意。
寺沢:作業としては、全体にふわっと「こういう内容を作って」と言われて作るんですか?それとも細かい指示をもらって組み込んでいくような感じなんですか?
吉本:ああ、いい質問ですね。寺沢さんのお仕事とも似てますよね。
寺沢:この辺、さじ加減というかが、WEBだとバラバラなんですよ。
吉本:それって、どういう意味ですか?「WEBだとバラバラ」って。気になる!
寺沢:バラバラというか、ちぐはぐというか…ですね。全体のイメージができていないのに細部を考えてみたりとか、逆に、おまかせな割りに実は明確なイメージがあったりとか。
進め方、交通整理を、ちゃんとしないで作ってしまって、後でおかしくなるような感じです。
紙は、もう少しちゃんと作法のようなものが決まってるのかなぁと思うんですけど、そんなことないですか?
吉本:いやー、すごく面白いお話ですね。共通点がすごくありますよ、こっちの世界とも。
寺沢:あれれ、そうなんですか。
吉本:今の寺沢さんのお話だと、実際に手を動かして作る人と、全体の進行を図る人が登場してますね。
寺沢:そうですね。
吉本:それを1人ですることが多いから、だから大変なのかもですね。
寺沢:そこ、分業しないんですか?人員の問題で分業できないケースももちろんあると思うのですけど…
吉本:「分業」! そうそう。「分業」! そこにすごく面白いテーマが潜んでますよ!
寺沢:どこで分けるか?という問題はWEBでは結構ずっと課題ですね。刻々と技術が変わっていくので、誰がどこまでやるかの領域が日々変わったりしてるのです。
吉本:あーなるほどですね。我々の業界が、長いことやってきたゴタゴタが、そちらの業界にも発生しているんですね。
寺沢:試行錯誤をやり直している、まではいかないけれど、同じ道を進んでいるような感じでしょうか。
吉本:今、寺沢さんから聞いて、まさに「やり直し」だと思いました。実際、WEBの記事作成のお仕事も多いのですが、WEBの方々って、紙媒体の編集の世界にある「ノウハウ」をご存じないなー、とは思いますね。
寺沢:あーやっぱりそうですか。なんとなく、先行してきた業界だから「ノウハウ」があって、でも、それをそのままWEBに持って行くことは出来なくても、精神性というと言い過ぎかもですが、ベーシックな部分については、習う部分が多いんじゃないかなーと思っているんですよね。
ただ、僕も含めて、紙の業界を経由していないと、それが何かよくわからないという感じですね。ないがしろにするつもりは無いのですが、そこで齟齬が生じてるかも、と。
吉本:うわー。今日のお話めちゃくちゃ面白いです!異種格闘技…異種格闘技というよりも、なんか未知との遭遇…ちがう!まあええですわ(笑)
寺沢:たしかに異種格闘技っぽい部分はありますね。
吉本:今日はたぶん、バスケットボールを使って、ハンドボールをするような感じかもです。
寺沢:なんとなく、お互いで間合いを測りつつ、さてどうしようか?みたいな感じですね。
吉本:そうですね。
寺沢:ただ思うのは、吉本さん、話を聞くのがすごく上手いと思うんですよ。それが職業柄なのかどうかはわからないですけど、言葉を引き出す技術というか能力は、すごいなぁと思うんですよね。
吉本:ありがとうございます!もっと言って(笑)
寺沢:なので今日は、ボールを持たされているような感じがしてます。やはり、それは職業柄みたいな部分はあるんですか?もしくは、それが生かせる職業ということなんでしょうか。
吉本:こちらの業界にも、インタビューというか、対面によるコミュニケーションを嫌がる人はいますよ。どこの世界も同じですよ。だから、職業柄というよりは、この世界に入る前からの「訓練」ですかね。
寺沢:意識してやってきたことなんですか?
吉本:はい、高校生くらいのときから。
寺沢:それはすごい!
吉本:暗い思春期を送った人なら、だれでもそうなんじゃないですか?
寺沢:僕は昔からおしゃべりだったので、逆に人の話を聞く側にまわるのが苦手で、それがコンプレックスとまで言わないですけど、嫌でした。
吉本:そうなんですね。それは簡単な「訓練」で治りますよ、別に「病気」じゃないですが…
寺沢:そうなんですか!よかったら教えてください。
吉本:いつでも!あとで「傾聴法」とかググってみるといいかもです。あとは体育会系の会社の社員研修とか、勉強になりましたよ。
寺沢:なるほど、勉強になります。
吉本:話を元に戻しますと、今回の寺沢さんの営み(このサイト)って、「WEBをつくってる側」と「紙をつくってる側」の相互理解ですよね。共通点を見つけあいながらの。そして着地点は、「結局どの世界もおんなじだー!」ですよね。
寺沢:あんまり意識してなかったですけど、確かにそうですね。深く相互理解が進めば「コンテンツ」が軽い言葉にならないで済みそうな気がします。WEBは新興で、過去の技術の上を行く部分が多いので既存の物事をないがしろというか、軽く見るというかな部分があって、それは違うだろうと思ったりしているんです。
吉本:うわー、めっちゃ面白いこと考えてますね!
寺沢:ありがとうございます!今、チャットしていて気づいたのですけど、WEBって他メディアやリリースからの転載を除くと、ほとんどの記事が独白かそれに近いものなんだなと思いまして。SNSでもブログでも。
こうやって、お話したことが記事になっていく、記事にしていく作業をする、ということ自体が、それはそれで面白いことかも、と思ったりしてます。
吉本:「(WEBって)ほとんどの記事が独白かそれに近いもの」というご指摘は、鋭いですね。
実は、WEBだけに掲載されている文章(ブログとか)に僕らからみて面白い記事が少ないと思う理由は、そこにあるんですよ。WEBで面白い文章を書くコツは、まさにそこですよ。
寺沢:今までの出版は、独白をばらまくことは難しかったですよね。WEBはその反動なのかも知れませんけれど、今までやってきた「編集」という分野が機能しないというか、新しい機能が必要なのかの模索も含めて、今はまだ必要とされる機会が少ないのかもなぁと思うんです。
吉本:なるほど、実に面白いご指摘です!
寺沢:「編集」って言葉は、みんな耳にしたことはあるし、何となくわかっているけれど、実際にどういうこと?というのが見えないというか。今までの出版物は、程度の差はあれ、何かしら「編集」されているんですよね?
吉本:良い流れです!このチャット。
編集って、なんかオシャレでかっこいい言葉ですが、実はみなさん全員が「編集」をしてるんですよ。
例えば、ツイッターに「さっきテレビで見たラーメン屋に行きたい」とつぶやくことも、「テレビ」に映し出された「画面情報」から、その人は「ラーメン屋」の部分を「抜き出して」、自分の感想として世間に流布している。
これって、まさに「編集」ですよね。一人編集者。
寺沢:うわー、確かにそうですね!
吉本:そうなんです。一億総編集者!
寺沢:その編集した成果物を広く公にすることが誰でも出来るようになってきたということですね。
吉本:そうなんです。そこで、差が出てくるんですよね。
よく読まれるブログと、そうではないもの。フォロワーの多い人と、そうじゃない人。すべてその人の「編集能力」が決め手だと思います。
寺沢:確かにそうですね。個人メディアというのは、つまりそういうことなんですね。出版では、それを複数でやったり、持ち回りでやったりできてクオリティを維持したり、みたいなことをやっているという感じでしょうか。もちろん、名物編集者という人もいらっしゃるわけで。
吉本:そうですね。一人でやるよりも、みんなで協力した方が良いものを「つくりやすい」のは事実ですね。
ただ、さっきお話に出た「分業」ですよ!ナイフエッジカレス!
混沌としたものを、効率の名のもとに切り分ける。それが「分業」のスタートラインだと思うのですが、そもそも切り分ける必要ってあるのか?とも思うのです。あまり細分化しない方がいいと思うんです。
寺沢:細分化して、くっついて…は何度も繰り返される感じですね。分業ありき、というのは、たしかに乱暴かもですね。実際問題、一人でこの分量は…というのは別として。
吉本:そうそう、ボリュームは、しかたないですよね。一日どんなに頑張っても21時間くらいしか働けないですよね。
寺沢:吉本さんのところは、一人で出来るところまでやる、みたいな感じなんですか?
吉本:フリーランスの時代はそうでした。でも会社組織にしてからは、みんなでやってます。
まだ僕は「人に仕事を頼む」のが下手なんですが…
寺沢:余談ですが、きへいた先生のブログや、それを紹介した僕のブログ。「あひる社 吉本」で検索した結果からアクセスしてくる人がたまにいます。
吉本:へえーーーー!意外です。すごいなー。
寺沢:編集という仕事も含めて、吉本さんの存在が「謎の人」みたいな感じなのかも知れません。
吉本:ツイッターとか、やってないからかなー?
寺沢:「あひる社」というのもあるかもですね。それでネットにはあまり情報が無いので、余計に謎めいた感じになるのかも知れません。
吉本:そうかもですね。「あひる社」かもですね。でも「ネットに全ての情報があるわけじゃない」って、素敵ですよね。僕もこのまま、「ネットに載っていない謎」になりたいですね。
なんかこれからは、「ネットに情報がない有名人」というのがカッコイイ時代ですよね。小沢健二さんも、そんな感じです。
寺沢:ネットを好き/嫌いとは別の軸で選択するという考え方は、まだあんまり広まっていないと思うんですよ。でも、積極的にネットを使うことはしない、という選択もあっていいわけですよね。
寺沢:そういえば、次回のボーイ・ミーツ・ガール、ゲストだそうで。
吉本:そうなんですよ。よろしければお越しください。
4月の16日(土) です。そのイベントで「GROOVE TUBE」のPVを撮影しようかな、って考えてます。パロディで。
寺沢:楽しみにしています(笑)
吉本:まだまだ、しゃべり足りない、というかチャットし足りない部分もありますが、腹八分目ということで。
寺沢:そうですね。また、機会があればお願いします。すごい勉強になりました。ありがとうございます。
吉本:いや、こちらの方こそ。寺沢さんの目を通じて、「異世界」をのぞかせていただきました。すごくエキサイティングでした。ありがとうございました。
笹塚の自宅から代々木上原のハリッツまで散歩。天気は良いが風が強い。花粉もすごいみたい。
代々木上原は坂が多い。自宅から小田急線の駅まではずっと坂を下って、そこからまた上る。結構な高低差。
大きな地図で見る
坂の途中、路地を入ったところにハリッツはある。民家を改造したドーナッツ屋さん。
ドーナッツを注文してお店で食べた。人気のお店らしく、お客さんはひっきりなしにやってくる。ひとつひとつ紙に包まれた、やわらかくて良い香りのするドーナッツだ。
カフェラテの模様が飲んでいくうちに、なんだか猫の背中や後頭部の模様みたいに見えた。
帰りはまた坂を下りて、上る。夏場は日差しが強くて大変だけど、この時期は平気。
風は強かったし少し冷たかったけれど、それでも春が近いことを感じた。桜のつぼみも膨らんできている。
地震があってから1週間が経った。もう1週間、まだ1週間、どちらとも言えるけれど、逆に1週間という時間の感覚がよくわからなくなっているのが正直なところ。その間、色々な情報が錯綜し、実際に停電や節電があり、予定が変更され、気持ちが大きく揺さぶられる事柄が起きた。
土曜日の朝、ほぼ24時間震災情報を放送しつづけたNHKでは朝の連続テレビ小説が再開された。世界遺産の番組が放送された。わずかではあるが日常を戻しつつある週末。
前日にSNSで近い友人に呼びかけて、井の頭公園で会うことにした。特に時間も決めず、出欠もとらず、なんとなく集まって、なんとなくお菓子やお茶やお酒が飲めればと思った。その間にも色々なことが世界では起きる。自分以外の事柄がどんどん流れる。でも、今の自分を取り戻さないことには、自分以外の世界と対峙することも出来ない。人と会うこと、話をすることで、少しは自分を取り戻すことが出来るのは無いか、猫の集会を参考にしてみた。
お昼の井の頭公園は、いつもの週末より人が少なくて、のんびりとした雰囲気だった。理由は想像できる。
でも、そんなことを考えても仕方が無い。毎年この時期に吉祥寺特集をやっている情報誌、やっちまったなぁと、ヘンテコな方向に思いをめぐらせた。せっかくのお天気だ。
井の頭公園というと池周辺のイメージが定着しているけれど、実はそこからジブリの森美術館に向かって広がっている。
吉祥寺の駅から丸井の脇を抜けて、いせやの所を下りたら到着、では無くて、さらにそこから池を1/4周して階段を上がっていくと、週末の賑わいとは違った別の表情が現れる。
大きな地図で見る
ソメイヨシノとは違う種類の、早咲きの桜を眺めながら、だらだらとおしゃべりをする。おかしを食べる。ワインをこぼしたり、鼻をかんだり、フリスビーをした。なんてことは無い週末。大事な時間。
暗くなり、皆と別れて渋谷に向かう。そこそこに混み合った井の頭線。知り合いのイベントにお邪魔する。どうでした?大丈夫ですか?という一通りの確認よりも、会えたことがすごく大事だった。音楽が鳴っている最中にも大きめの余震。
ソファーに埋もれながら、DJがNYの停電や1995年に起きたことを話す。僕らは何も失ってはいないし、たとえ失っていても、お互いに補えあえるだけの貯えを持っている。モノだけでなく、気持ちについてだってそうだ。
1995年も今振り返ればおかしな年だった。2011年も、後で振り返ることが出来るようになる。そう思いながらイベントを後にした。
今夜は月がとても大きいそうだ。そういえばNHKでは大潮の情報をやっていた。
トリバタケハルノブさん(以後 トリハルさん)のキャラクターでTシャツを作ってみたらどうだろうか、と考えて、相談してみたら快諾していただけた。できあがりが楽しみだ。
トリハルさんのブログでは、バーニングパンダちゃんTシャツ製作体験記が、でスタートしています。
是非チェックしてみてください。
また、Tシャツお申し込みページも用意できました。こちらも是非チェックしてみてください。
トリハルさんとのお話、最終回の3回目は主にトリハルさんご自身についてのお話です。
ということでお話の続き、スタート
―トリハルさんの描くマンガは、世間をトリハルさんというフィルターを通してうまく描いてると思うんですよ。
トリハル:ありがとうございます。
―「バーニングパンダちゃん」の懐疑的なキャラクターとか。人間、誰しもが多少は持ち合わせている部分だと思うんですよね。
http://banipan.seesaa.net/で、公開されている。
今回つくるTシャツのキャラクターである。
懐疑的なキャラクターや、バーニングホースが登場する。
トリハル:「バーニングパンダちゃん」では、展示に向けて急いだ部分もあるので、ちょっと飛ばしているんですが、バーニングホースのエピソードを、もう少し細かく書きたかったですね。
あのキャラクターは、才能とか熱意のようなものなんですけど、そのせいで孤独だった彼が同じような人達が大勢いる場所を見つけて、落ち着いちゃって駄目になっていくという部分なんかをもっと掘り下げたいです。
―トリハルさん、そういった人間の気持ちの矛盾みたいな部分、好きですよね。
トリハル:好きですね。すごく張り切っていた人が、面白くなくなっていく感じとか好きですね。興味深いです。わかったようなことや、悟ったようなことを言う人が好きです。
―(笑)
トリハル:そういう事を言っていた人が、それを上回る人が現れたら、脇に押しのけられちゃって「俺も昔は…」みたいな感じになってしまうような感じとか。
―そういう視点、あってはならないものじゃないですけど…
トリハル:そういう人を見て「ざまぁみろ!」って感じではないんですよ。もう少し離れた視点で見たときのおかしみというか、そういう人もいるよなぁと感じるというか。世の中そういうものだよなぁとか。
自分の気持ちの中でも、若い頃は「東京に行って、俺は頑張って!」というのがあったのですけど、いざ、東京に来て見たら、何でもなかったという。
―憧れだけの部分があったなと。
トリハル:憧れている面も大きかったし、自分もたいしたことなかったわけだし、想像していたような実力だけの世界じゃないところを見ちゃったりとか。実力+αなんですよね。
―「バーニングパンダちゃん」コピー&ペーストがメインで作業できるという話は、面白いと思うのですが、一方で、ありもの素材を集めることでそこそこの見栄えの物が作れたりで、一体何が創作なんだろうと思う面もあります。
トリハル:誰もが出来るようになるというのは、良いことだけじゃないかもしれないですね。
アルバイトで入ったデザイン会社でマックを使っている時、それよりも昔、製作仕事をしていた人オジサンから「昔はカラス口で線を引く練習をして…」みたいな事を言われていて「だからなんだよ」思ったんですけど
今度は、自分達がそっちの立場になって行くのかなぁとも思ったりします。
―今ある仕事も、いつまでもあり続ける仕事では無いですしね。
トリハル:ブログで手書きっぽいマンガを描き始めたのはそういうことを考えだしたからかもしれないです。マンガはより自分が表現しやすいと思っているんです。イラストレーターとして埋もれてしまいそうな危機感もあるし。
せっかくブログで描くんだから、今読まないと駄目なタイムリーなものを描きたいですね。こんなものを買ったとか、体験記とか、後で読めばいいやってならないものを描いていきたいですね。
―人それぞれ感じ方も時代によっても違うから、描ける人にはどんどん描いて欲しいと思います。
トリハル:今、僕は、奥さんとの関係がすごく良いんですけど、これから時間が経っていくことで関係性は少しずつは変わっていくと思うんですよ。
なので今、描いているマンガの感じは、後で見るとまた違った感じで面白いと思うんですよね。
―デジタルで記録を残せるようになった分、その時の記憶を後で見返しやすくなっていますね。
トリハル:ブログに文章の日記に書くみたいに、マンガが描けたら面白いかなぁと思っているんです。
今は、なるべく早く更新できる方法を模索してます。あと写真を入れてリアルタイム感をいれてみたりとか。
―そういうことがやりやすい環境になってきていますしね。
トリハル:なるべく手順を簡単にして、ツイートするくらいの感覚でマンガが描けたらいいんですけど。「出来るだけキレイな走り描き」が目標です。
―サインをもらう時に、すみっこに何か描いてもらうような感じでしょうか。
トリハル:文章とは違った面白さがあると思いますし、スピード感や手法は、今までの経験の見せ所かなと。あとは、アフェリエイトで小銭を(笑)
イラストレーターときどき漫画家。2000年よりフリーランスとして活動。
キャラクターイラストやちょっとした漫画を得意としています。あみぐるみも作ります。
3月11日金曜日午後、打ち合わせを兼ねたランチに招待され新宿へ。
打ち合わせが終了し、トリハルさんの3回目の記事をアップすべく、京王線新宿駅2番線ホームの各駅停車の発車を待っていたら、乗客が一斉に降りたときのような揺れがした。
はじめは電車は揺れることもあるので、そんなものかと思っていたのだけど、なかなか揺れがおさまらない。
これは何かあったと思いプラットホームに出たらガタガタっと音をたてて揺れはじめた。どこかにつかまらないといけない揺れではなかったが、まっすぐ歩くのは難しい感じ。近くにいたお年寄りは柱につかまっていた。
駅員さんが「落ち着いてください」と声をかけながらやってきた。まだ揺れはやまない。船の上にいるような感じ。長い。不安そうなお年寄り。
「ずいぶん揺れが長いですけど、地下だから余計なのかもですね」自分を落ち着けるためにも駅員さんに話しかけ、とにかく平静でいようとする。エスカレーターも動いているし、大丈夫だ、と。
地震が収まった直後、構内放送で「東京、震度5」とアナウンスが。5弱か5強かわからないけど、4よりも大きい地震。
「線路の安全確認が入るから電車はしばらく動かないですよ」という駅員さんの冷静な言葉で我に返り、ひとまず地上に出ようと、ルミネの方の改札から西新宿一丁目の交差点に出る。
人は大勢いたけれど、新宿は普段から人が多いので、そんなに大変な感じはしない。よくよく見ると、カラオケボックスから慌てて出てきたらしく、伝票を片手に持った女子高生なんかもいる。車は通常通り走っていた。余震でハンドル誤ったらまずいなと思うくらい普通に走っていた。
ワンセグを見ている人達の声や、自分も携帯電話でツイッターを見たりして、かなり大きな地震で津波もすごいのが来るらしいということはわかった。
笹塚の自宅にいる妻には電話は当然通じなく、ショートメールも送信できなかった。ツイッターが出来るくらいなんだからとEメールで送信したメールは届いていたらしいが、返信はセンターで止められており、センター問い合わせまで知恵がまわらず、結局連絡が届いているかわからなかった。
電車が動くまでどこかでお茶でもと一瞬思ったが、同じように考える人も多かったようだし、連絡が出来ない状況を考えると、これは歩いて帰った方が良いと思い歩き出した。
自宅の笹塚までの道はすごく簡単だ。甲州街道を延々歩く。遅くても1時間弱で着く。
実際に歩いたルートはこんな感じ。
大きな地図で見る
少しずつ新宿駅を離れて、やはり人が大勢外に出ていると感じる。歩道に人がずっといる。西新宿は普段こんな風ではない。
文化女子大のところでは、卒業式だったのかハイカラさんの格好の子や関係者、近隣の人などなどでとにかく沢山の人。大きい余震に驚いて座り込んだり、西新宿のビルがすごく揺れているのを見つけて驚いたり、とにかく騒然としていた。
パニックに巻き込まれるのだけは避けようと思い、携帯片手にとにかく歩く。途中、メールを送ったり、ツイッターを見たり、携帯電話が通じるというのは、とても有難いものだと思う。
山手通りの交差点にある吉野家では、お客さんが普通に牛丼を食べていて、日常と非日常が混乱する感じを味わう。
これ以上の大事にならないように、これからも牛丼が問題なく食べられるよう祈りながら歩いた。スクウェア・エニックス社のスライムのディスプレイも崩れておらず、大丈夫、大丈夫と思いながら。
初台駅を過ぎる。小さな電気屋さんの店先のテレビで大勢の人がニュースを見ていた。パッと見ただけでも大変なことがわかる。家へ急ごう。
玉川上水の緑道を歩く。外に出ているのは近所の人達ばかりなのか、どこかのんびりした雰囲気。まるで日向ぼっこに出てきているよう。
子供たちはブランコ遊びをしていた。野良猫は何かに気づいていたのか神妙な顔つきをしていた。
消防学校は、訓練なのか、これからの準備なのかグランドに沢山の消防車が出ていた。頑張って。
アコースティックギターを爪弾いている人がいた。状況がわかってそうしているのかどうかはわからないけれど、ゆったりした静かな音色は心を落ち着ける。状況によっては難しいのかも知れないが、音楽の力も頼もしい。
帰宅。妻は無事で、緊急持ち出し袋の用意などをしていた。高いところに置いてあった物が落ちたくらいで問題はまったく無かった。
テレビやインターネットの向こうは、とにかく大変なことに。中越地震の時は、実家や友人達が現場にいて、色々な話を聞いているが、とにかく頑張ってほしいと思った。先は長いけれど、ずっとこれからも頑張ろう。
東京は前からこういう災害の際、帰宅困難者が大量に発生するという話があって、心配もされていた。実際、自分がすれ違った人達も帰宅するまでに随分時間がかかってしまった人も大勢いたことだろう。友人の中も会社で夜を明かして、翌日帰宅した奴がいた。
さまざまな施設が、帰宅できない人達のために場所を開放したり、トイレや毛布やあたたかい飲み物、テレビやインターネットを提供していた。公的な施設や大きなホテルだけでなく、ライブハウスやクラブなんかもそうだった。都会は、どこまで行ってもお店があるのが当たり前といえばそうなんだけど、それらの多くが大変な人を温かく迎え入れてくれるのだとしたら、一般に言われるような都会の冷たさなんかとは少し違った、安心できる場所なんじゃないかと思った。
自分に何が出来るか、約束は出来ないけれど、これから先も日本社会の中に生きる人間として一緒に頑張っていけると思う。きっと大丈夫だ。
トリハルさんが、今回の件に関しての記事や、むつみ荘の続きをアップしています。日常を取り戻そうと頑張るトリハルさんに敬意を表します。
3回目のインタビューはもう少ししたらアップします。
イラストレーターのトリバタケハルノブさん(以後 トリハルさん)のキャラクターでTシャツを作ってみたらどうだろうかと考えて、相談してみたら快諾していただけた。とても嬉しい。
トリハルさんとのお話、2回目は主にむつみ荘と上京当時のお話です。
そうそう、バーニングパンダちゃんTシャツ製作体験記が、トリハルさんのブログでスタートしました。
また、Tシャツお申し込みページも用意できました。こちらも是非チェックしてみてください。
ということで、お話の続きスタート
―2009年にむつみ荘の第一部が出版されました。出版すると反響がやっぱり違いますか?
トリハル:違いますね。イラストの仕事は編集さんに褒められることはあっても、それを見た人から直接の反響というのは無いじゃないですか。
マンガの反響は読者の方から直接自分に来るわけで、それはすごい「快感」なんですよ。やっぱり手ごたえが違う。でもそれは「劇薬」でもあるなと思います。
―同じクオリティだったとしても、反響の違いがすごいわけですね。
トリハル:そうです。そうなんだけど、今のところ生活の為には仕事としてのイラストを描いていた方が断然、良いんですよね。
むつみ荘もスパッと終わらせて、黙々とイラストの仕事をしていた方が稼ぐという意味では良いんです。
でも、マンガをネットにアップして、Twitterとかで直接レスポンスしてもらったりするのが、すごく嬉しいんです。UStreamで配信したりとか。
そういう意味で「劇薬」だと思います。
―職業としての面と、人気商売という意味での水商売な面、クリエイティブに関わる仕事では大切な要素ですね。
トリハル:クリエイターの人が人生踏み外しちゃうのはそういう所だと思うんですよね。ネットが普及することで、作り手と受け手が接触する機会もすごく増えていますし。
―そのむつみ荘、連載更新が再開しています。これからも、まだまだ続くのですか?
トリハル:描き始めた時から、最後までの流れは出来ているんです。ただ、途中の話が膨らんでいる状態ですね。他のマンガも描きたいので、なんとか早く終わらせたいです。
―第2部は、電子書籍で出しましょうよ。
トリハル:もし二巻が出るとしたら、書き下ろしたいエピソードがあったんです。4コマでなく複数ページのもので、特典でつけたいなと前から思っていたので…
―欲しい人が大勢いたら実現できますよね!
トリハル:(笑)
トリハル:98年に上京したんですけど、マックも手に入りやすくなって、インターネットも普及してきてて、良い時期だったなと思います。
東京に出さえすれば自分が変わると思っていました。具体的なことは何にも考えてませんでしたが。
―デジタルの普及がいよいよ始まった時期ですね。
トリハル:そうですね。マックを買って、イラストを描いたりしていました。
当時マックなんかに飛びついた人は、比較的アンテナの感度が高い人達だったと思うんですよ。僕は友だちに誘ってもらっただけですけど。
そういう人がデザインだったりイラストだったりをやっていたわけで。
今、そのあたりの人達は、文章やったり、有能な会社員だったりしてるみたいですね。
mixiがスタートしたばっかりの頃、招待されて入ったら当時知り合った人達が大勢いて、同窓会みたいでした。98年度生みたいな感じで。
―まだSNSというものが生まれたばかりの時期ですね。
トリハル:今のTwitterやFacebookは、そこまでの印象が無いんですよね。SNSも普及したってことだと思います。
―当時の知り合いでイラストレーターになった方は大勢いるのですか?
トリハル:イラストレーターになっている人は、あまりいないですね。デザイナーになったり、違う道に進んだ人の方が多いです。
―専業の絵描きさんになった人はそんなにいないんですね。
トリハル:そうですね。
―イラストレーターとして独立したのはいつ頃ですか?
トリハル:フリーランスで仕事を始めたのは25歳、2000年からなので、今年で11年目になります。
―絵を描くのは好きなんですよね?
トリハル:それが、わかんないです(笑)
―(笑)
トリハル:褒められるから描いていたという部分もありますから。その瞬間はすごく嬉しいのですけど。
きっと円グラフにすると「好き」の成分はそんなに無いと思うんです。本当に好きなら怒られても描くと思うんです。僕、中学から大学までの間は描いてないですからね。逆に「オタク」とか「きもち悪い」っていじめてましたから。
なので「ずっと絵を描くのが好きで…」と言う人は、うらやましいと思うし、気持ちが強い。かなわないなと思います。なので、僕は色々な手段を駆使して仕事を続けていこうと。
ただ、普通の仕事をしているよりかは、イラストを描いている方が楽なので、ラッキーだったなと思います。
―デジタルがもう当たり前の時代になり、フリー素材や、自分のイラストを公開する場所なんかも珍しくなくなってきました。
トリハル:イラストの仕事は、これから供給過多になっていくんじゃないかなぁと思っています。
イラストレーターは副業でやる仕事になるかもしれない。専業にできるのはよっぽどうまく軌道に乗った人だけで…。
僕は、もう引き返せないので、このまま頑張りますけど…
イラストレーターときどき漫画家。2000年よりフリーランスとして活動。
キャラクターイラストやちょっとした漫画を得意としています。あみぐるみも作ります。
お話は続きます。この続きは、3月11日(金)公開の予定です。
トリハルさんのブログの、バーニングパンダちゃんTシャツ製作体験記も是非チェックしてみてください。
バーニングパンダちゃんTシャツ、予想以上の欲しいツイートをいただきました。ありがとうございます。
ご希望の方は、以下の内容をお確かめの上、フォームへ情報入力をお願いします。
入力いただいたメールアドレスへ、追って詳細をご連絡します。
※携帯メールアドレスの方は、tobuse.net よりメールをお送りしますので許可設定をお願いします。
今回、限定的な制作となります。ある程度の数量のご希望をいただいた段階で、終了する予定です。
よろしくおねがいします。
サイズ | S | M | L | XL |
着丈 | 66 | 70 | 74 | 78 |
身巾 | 49 | 52 | 55 | 58 |
袖丈 | 19 | 20 | 22 | 24 |
※単位:cm イメージ・マジック コミコミコースより
※入力いただいた情報等は、吉祥寺北口システム 寺沢が、Tシャツに関するやりとりにのみ使用します。Tシャツをお渡しした後、破棄します。
イラストレーターのトリバタケハルノブさん(以後 トリハルさん)が描くキャラクターでTシャツを作ってみたらどうだろうかと考えて相談してみたら快諾していただけた。とても嬉しい、楽しみだ。
そんなわけで、宣伝の意味ももちろん含みでトリハルさんとお話しをしてみた。
―エイトビットカフェで開催されたトリバタケハルノブ展が2006年の11月8日~11日。4年くらい前ですね。
トリハル:本当はもっと色々な絵を飾る予定だったのですが、途中で間に合わないってなって、方向転換して「バーニングパンダちゃん」だけでした。結果的にコンセプトがはっきりして良かったですね。
当時展示されたマンガは、http://banipan.seesaa.net/で、公開されている。
今回つくるTシャツのキャラクターでもある。
燃えているので近くに寄ると暖かい。火傷に注意。
―その時のマンガパネルは、今でもエイトビットカフェにいくつか残っていますね。
トリハル:そうですね。色んな人に会えて良かったです。展示をやると人とのつながりもできるし、楽しかったですね。
当時は定期的にやっていこうと思っていたんですけど…
29歳の時に初めて展示をやったんですよ。知り合いの人がやっている中目黒のお店がお盆休みになるので、その時やったらということで。
その時超楽しくて、味をしめたんです。モテる感じになるんですよね。その間だけ。
―自分を見に来てくれるわけですからね。
トリハル:翌年、吉祥寺で友達の似顔絵展をやって、それで3回目がエイトビットカフェで「バーニングパンダちゃん」の展示をやったんです。
エイトビットカフェでは、その後も、色々な人が出す作品展なんかにも参加したんですが…
―8bit cafe creator’s catalog 2007ですね。
トリハル:それは、自分にはオシャレ感が強過ぎて、いたたまれない部分がありました。ちょっと怖くなって帰っちゃいました。
―自分の路線とはちょっと違うかなという感じ?
トリハル:仲間に入りたいとは思うんですけどね。なかなかどうして。
―同じようで、色々な路線がありますからね。
トリハル:僕はホノボノ路線ですから(笑)
―最初からホノボノ路線なんですか?
トリハル:最初はオシャレに行くんだ!って思っていましたよ。
イラストレーターってオシャレな仕事だと思ってましたし、オシャレな人にならないと!とも思ってました。
東京に来て、そういう人達の仲間に入るものだと思ってましたし、実際、おしゃれっぽい人達の周りをウロウロしていたんですけど、なんというか、そういう人達は志が高いというか…
僕も志はあるとは思うのですが、角度というか…
―目指すところがちょっと違う?
トリハル:そうですね。あと、現実として食べていかないといけなかったので、自分にできることで早く仕事になりそうな方向に行った結果、ホノボノ路線になったという感じですね。
上京当時は、DESIGN PLEXとかMdNとかGASbookとかが流行ってました。その頃は、僕にも何か出来る!ってワクワクしていて。デザイン・イラスト版の「バンドやろうぜ」みたいな。
DESIGN PLEXの表紙を見せて街を歩く、みたいな気分で。実際にはしてませんけど。
あと、フライヤーを描くというのが夢だったんです。イベントのフライヤーを描きたいという。
―フライヤーという言葉が流行しはじめた頃ですね。
トリハル:33に行ってフライヤーもらって帰ってたりしていました。
―33なんかもそうですけど、トリハルさんが上京頃はTシャツを作ることも流行していましたね。
トリハル:Tシャツ作るのも、憧れでした。専門学校に行っていた友達なんかも作っていて、いいなぁって。
―ご自身で作ろうと思ったことは。
トリハル:あります。でもね、作りたいTシャツは特に無かったんですよね。キャラクターとかも浮かばなくて。
―Tシャツを作って、みんなと楽しくなっているような感じのイメージが先行してたと。
トリハル:ええ(笑)
―「バーニングパンダちゃん」のデザインは幾何学的で、ホノボノ路線とはちょっと離れていますよね。
トリハル:上京してバイトしていた頃から考えていたキャラクターなんですね。作品として出したのが大分経ってからなんですが。
なので、エイトビットカフェで展示をやった頃には、もうホノボノ路線メインで仕事をやっていたんです。
―なるほど。これだけ見ると、どっちかというとキツイ人なのかなぁなんて印象もあります。
トリハル:たぶん、ムーミンみたいなことがしたかったんですよね。赤毛のアンとか、大学生の頃、熱心に読んでて。
けっこう露骨に教訓が全面に出ていて、これやっていいんだと思って。そういう子供向けのがやりたかったんですよ。世の中の不条理を物語にしたものとか。
今、読んでみると、思ってた以上にこれはこれを言い表しているんだな、というのが分かりやすすぎて、ちょっと恥ずかしいですね。
あとは河合隼雄の本にもすごくはまって。村上春樹と対談している本から入っていったんですけど、そういう影響も「バーニングパンダちゃん」に現れているような気がします。
―むつみ荘は、教訓めいたこともあるけれど、もっとほのかに物語からにじみ出てくる感じですね。もっとこなれているというか。
トリハル:「バーニングパンダちゃん」は、自分の心の中のことだけを図に描いて説明しているような感じですね。絵もシンプルだし。
「バーニングパンダちゃん」は自分の心の中の話で、そして、夢から覚めて「むつみ荘」に行ったと。
「バーニングパンダちゃん」は、ちゃんと描き直したいと思ってはいるんです。でもそれをずっと考えているのもどうかとは思うんですよね(笑)。マンガをアップデートしていくっていうのも…
―ライフワークのような感じでしょうか。
トリハル:今回のTシャツはアップデートのいいタイミングかもしれないですね。
元のデータがあるので、コピー&ペーストがメインで作業できるので(笑)
イラストレーターときどき漫画家。2000年よりフリーランスとして活動。
キャラクターイラストやちょっとした漫画を得意としています。あみぐるみも作ります。
お話はまだまだ続きます。この続きは、3月9日(水)公開の予定です。
2010年にエイトビットカフェのフリーペーパー制作をやりました。お店の開店5周年記念で、これまでの歩みなどをインタビューした内容がメインのものです。
考えてみると、自分の周囲にはさまざまな人が、色々と興味深い活動をしているなぁと思い、そういう方々のお話を聞いたことをまとめたり出来ないだろうかと考えました。
現在はインターネットがもう十分に普及していて、ネットだから何か特別であるという雰囲気は、本当にそろそろ終わりそうな気配です。じゃあこれからどうなっていくのか?どうしていこうか?と考えた時に、既存メディアが云々…なんて鼻息荒い事柄とは無関係に、普通に、本当に特別ではない事柄を発信する、よくよく考えてみればウェブ初期のホームページにあったような考え方に立ち返ってみるのも面白いのではないか、と考えました。
吉祥寺北口システムは、自分がコンピュータシステム関連の仕事をやっていく上での屋号です。特に好き嫌いなく、オーダーもらった仕事は喜んでさせてもらっています。インターネットに限ったことでは無く、社内の伝票印刷なんかの仕組みを作ったりもします。
いわゆる情報処理関連の仕事なのですが、その処理する情報というものは、形態は色々だけど殆ど全てが人間に関係する情報なんだと思うと、当たり前のことではあるんだけど、何だか不思議に気分になったりもします。
沢山の人が色々なことを日々発信しています。それに耳を傾け、考えてみたり、時には質問や確認をしてみたり、日々さまざまな手段で会話がされています。
ここでは、そういう会話の一部を使わせてもらって、そこそこ読み返せるくらいにまとめたものを発信して行こうと考えています。
それが何になるかは分からないけれど、読んだ人に間接的にでも何かのヒントになったりすれば、それで良いのでは無いか思います。
インターネット屋的な視点では、わずかではあるけれどSEO効果も期待できるかと思います。
あれれ、なんだか急に俗っぽくなった。
でも、こういうのも大事なこと。どこまでの効果があるかは別として、何か面白そうな事柄の宣伝に使えるであれば、喜んでお手伝いします。
以前、吉祥寺に住んでいました。自営業で、ついつい自宅にこもりがちになるのを解消することも兼ね、日課としてデジカメ片手に散歩をしていました。
特に何があるわけでなくても、その日の空の様子だとか、どこかで工事をやっていただとか、ニュースなんてとても言えないような、日によっては写真だけの日もある、そんなブログを淡々と続けていました。人気の街、吉祥寺のブログとしては、かなり異色な存在だったと思います。
引越しを機に更新ストップしたのですが、今になって思うと、ああいうスタンスは純粋な記録として面白かったなと思います。その時で無いと見ることが出来なかった景色が、今掘り返して見ると沢山出てきます。
実は性懲りも無く近々吉祥寺に戻る予定ですので、この機会にそれもまた一緒に再開できれば、なんてことも思っています。
そんなこんなで、色々な人が、色々な場所で、色々なことをやっている。そういうことの一部の記録を拝借して、こうやって形にさせてもらっていければ、何か面白いことが出来るじゃないかなぁと思っています。
どちらかと言えば、そんなに力まない、普段通りの生活の一部として、淡々と続けていければと思います。
よろしくおねがいします。
吉祥寺北口システム 寺沢幸雄