2016年の音楽2016-12-28

今年で3年目
自分の記録として面白いのでこれだけの為にブログを続けても良いとまで思ったりする。順不同。

ゲスの極み乙女。 – シアワセ林檎


結果的にバンド名が仇になってしまった人達。
ミュージシャンに人格を求めてはいけない、なんてことはどうでも良くてテレビで取り上げるものは一律すべて芸能みたいな状況に巻き込まれ、そんな中でもなんとか次のアルバムまで準備したけど結局流れてしまった。残念。
制作環境というのは機材や予算だけでなく精神状態も入ってくるわけで、やっぱり影響出てるよね、だってそんなに面白くないものという感想。それでも200万再生。作品の良し悪しで伸びてきた人達がテレビの話題だけで数字を出すというのも皮肉な話ではある。
あと吉祥寺の街の風景が出てくる。

チャラン・ポ・ランタン – 進め、たまに逃げても


流行したドラマのオープニング。
エンディングはダンスも含めてあっちこっちで取り上げられた割にオープニングはきっちりAメロで終わっている。本人たちも空気だなんて自虐をしているけど、それでも100万再生。テレビの影響はすごい。
Aメロだけでも印象的なボーカルとアコーディオンの構成がよく出来ていて、ドラマのコンテクストに組み込まれなくても平気な強度がしっかりある。
字幕のフォントがゲスと同じなのに印象が全然変わるというのも興味深い。

METAFIVE – Maisie’s Avenue


YMOとDeeLiteと電気グルーヴとフリッパーズ・ギター+α。いわゆるスーパーバンドだけどそれをもてはやすテレビが殆どなかったというのが印象的。再生数はチャラン・ポ・ランタンの半分以下。
クールな音になりやすいメンバーの中で+αのレオ今井の存在が効いていて、ダイナミックさやエモーショナルさが加わることでより音の彩りが鮮明になっている。英語で歌われるこの曲のモチーフは明治通りで、レオ今井ならではの国籍不明な感性が光っている。雨が降ってるイメージがある。

にゃんぞぬデシ – ハッピーエンド建設中


ここから一気に再生数が少なくなる。よくわからない女子高生。名前がまず覚えにくい。
人となりとは関係なくただ聴いておおってなるのが音楽の魅力。この先どうなるか分からないけど、それを見てみたいと思う。どうかキャラクターで売るようになったりしないで欲しいとは思う。

フレンズ – 夜にダンス


ツインボーカル。
しっかりした女性ボーカルに不安定に聞こえなくもない男性ボーカルが混じるバランスが面白い。元々上手いおかもとえみの声がより光る。

蓮沼執太 – RAW TOWN


不思議な歌もの。
大きな音で聴かなくても楽しめる不思議な曲。静かな部屋で時計の音だけが聞こえるような、そんな歌。

Someday’s Gone – Say No More


栃木のバンド。
以前は英語詩の曲をやっていると洋楽志向とかそんな謳い文句がついたりしたものだけど、別にどうってことなくなったんだなあ、違和感なくなったんだなあと思う。そういうのとは関係なくサビのスケール感はグッとくる。何を言っているわからなくたって音楽は分かる。

ONIGAWARA – シャッターチャンス’93


元竹内電気。
何周目かの渋谷系パロディは、沢山の直視できない人と、真正面から見て笑う人、そしてほんのちょっとの良い曲だと思って聴く人くらいの分布になっている。自分はきっと笑う人の分類。渋谷系自体がパロディみたいなものだから、そこに自己を投影したって仕方がない。こういう無限のスパイラルをゲラゲラ笑うのが正解だと思う。

JYOCHO – 太陽と暮らしてきた


元宇宙コンビニの新ユニット。
相変わらずのギターテクニックをベースにした浮遊感のある音楽。調和のとれた構成は音数が多い割に整然とした印象がある。速度のある音楽とはまた違った爽快感がある。

world’s end girlfriend – Crystal Chrysalis


クールジャパンとは無関係に存在する日本の宝。
美しいものを感情の赴くままに無茶苦茶にしてしまって後悔するような音楽。どうやって撮ったか分からないグロテスクな映像は音楽が想起させるこの世界の美しさ儚さと抗えない死への畏怖、逆らえない時間の流れを表現していて、どうするとこういう表現ができるのか怖くなるくらい。

Natsu Summer – トロピカル・ウィンター


シティ・ポップ流れのラヴァーズロック。今更感が少しも無い所が新鮮。
音楽に沢山のことを求めず、楽しい気分や空間を作り出す一部くらいの存在で十分に意味があると思う。音楽の趣味としてこういうのが少しずつ沢山あるルヴァンパーティーみたいな社会になるといいなあ。

2017年もいい音楽を。