食通っぽい定型表現に引っ張られる食事のイメージ2020-08-03

横丁角の吉田のおばあちゃんが作る浅漬けが美味いという話は、誰だよそれ知らないよとなるけれど、京都祇園の会員制バーで「ぶぶ漬けとは違いますので」なんて言われてそっと出してくれる浅漬けが美味いという話はグルメっぽい。その浅漬けが吉田のおばあちゃんが作っているのだとしても。浅漬けの味は関係なく、文章表現の話だ。

ブログやSNSが普及して誰でも文章をネットに出せるようになった。とはいえ書く話題なんてそんなに沢山あるわけもなく、食事のレポートなんかはわりと安価で多くの人がやりやすいし、やった気持ちにもすぐなれるインスタントな作業でみんな手を出す。みんながやる分テンプレートのように定型の表現が普及して、魯山人の随筆を100回くらいコピーしたようなテキストならもうAIで無限に生成できるんじゃないだろうかという状況になっている。そういう意味で食べログの記事は興味深い。「小生」とか「スローなブギ」とか、そういう検索ワードで出てくる文章を読むのは良い暇つぶしになる。

閉店してしまった葡萄屋は、あの建物どうなるんだろう、滝とかエレベーターとか残さないよな。入口のおじさんにも会えなくなるしなんていう飲食店とは直接関係ない存在の消失の方が気持ちとしては強くて、肉はまぁ他でも食えるんだけど、あのキムチはもう二度と食えないのかと思うと寂しい。辛いというより塩味が強めな日本の漬物っぽいキムチ。キムチは葡萄屋に限るなんてことは無いのだけど、人生でこの先あれにお目にかかることはきっと無いんだなと思うと残念だ。

そういう食い物はあっちこっちにある。