2015年の音楽2015-12-28
昨年もやってみて自分の中で思った以上に面白かったので味をしめて今年もよく聞いたり、良かったなあと思った音楽を紹介してみる。
趣味をひけらかすというより、自分用のメモ。
これで今の音楽業界だとかが見えるとか、そういうのは全然無い。順不同。
Awesome City Club – アウトサイダー
去年くらいから「シティ・ポップ」というキーワードが流行っていて、そのフワッとした定義はこのジャンルが生まれた20世紀からずっとずっとフワフワしていて、現在その名前でまとめられるようなミュージシャンを見ると???な気持ちになったりする。フワフワしつつ定義変わり続けてるよね?
そんなグループに混じりがちなAwesome City Clubはソウル成分強いし音やセンスは確かにそうなのかもね、なんて思ったりはする。するけどなんか違う。ジャンル分けはまぁどうでもいいんだけど。
歌詞はSNSが普及した世界でもっと人と繋がりたい、繋がろう、なんていう「男女七人…」みたいな感じもあっていわゆるシティ・ポップな時代を想起するかもなんて思ったりする。オジサン好みな一曲。
SAPPY – かけだしてく
関西のユニット。たぶんシティ・ポップじゃない。
直球ど真ん中のポップソング。ややクセのあるボーカルがまた丁度いい。こういう時代性があるのかどうかなんてこと気にしなくて、あーいいね、いいねっていう気分になるのもまた音楽の大事な役割。多幸感。
最終少女ひかさ – あーりんわっしょい
北海道のバンド。これもまた聴いてて気持ちの良い音楽。
今は音楽を始めようと思っていきなりDTMから入る若い人が昔よりすごく増えたと思うけど、そうじゃなくギターやベースをまず手にして最初にやってみて気持ちがいいと思えるような音。ド頭のギターとか鳴らしてみて最高!とか一人で楽しくなったりとか。細かいことをこねくり回すのじゃなく、初期衝動でバーン!ってやつ。
星野みちる – 坂道の途中
元AKBと元ピチカートファイブと元ナイスミュージックとヤン富田とはせはじむ。
好事家に興味もたれやすい割にメジャーとは全然関係ないような存在。冒頭からあーもう!っていう手口はマジでもうお腹いっぱいとはいえ、嫌いじゃないのでやっぱりいけちゃう蒲焼きのタレみたいな音楽。ちなみにAKBのファンからはあんまり何も言われない模様。楽曲派の人達もっと頑張れ。
ウワノソラ’67 – シェリーに首ったけ
星野みちるだけでいいじゃないかという話もあるが、それはそれ、これはこれ。
シティ・ポップも渋谷系も一周回って「そういう音楽」みたいな存在になって、夏休みにおばあちゃんの田舎にいってランニングに麦わら帽子で昆虫採集なんていう、実際にあったかどうかさえ不確かな日本の夏、くらいに戻るべき場所としてナイアガラやシュガーベイブなんかが定着してしまったのかも知れない、なんてことを考える。日本人の郷愁が70年代から80年代初頭にできているのは少し驚きだけど、でももう30年以上前なんだもの。
感覚ピエロ – 拝啓、いつかの君へ
去年から引き続きの感覚ピエロ。今年ライブに行った唯一のバンドでもある。
TSUTAYAでのレンタルから全国流通盤のリリース、47都道府県制覇のツアーともうメジャーに行く前フリとしては充分だろうと思わせる活動をした一年だったわけで、そんな状況でこういう曲を出せるのがインディーの良いところ。少し前までリア充大爆発とかオッパイとか歌ってたバンドが正義がどうのって言ってる。元々エモーショナルな音を出すバンドなので、こういうのもあって全然良い。今までいまいちピンとこなかったD.Bもアルバムになってすごく良いことに気づいたし。
SEKAI NO OWARI – Dragon Night
大メジャー。
去年の紅白で歌った曲でサビの部分は有名というかバカにされてたというかなんだけど、英詩で歌うと特にそこまでなんてことは無い。歌ってること分かんないけどこういう良い調子な洋楽あるよね、みたいな感じ。ということはやっぱり良いじゃないか。ということで自称楽曲派な人はアイドルだけじゃなくて色んな分野で偏見持たないで音楽聞いて紹介するようになるといいな、なんて思ったりはする。少しはアフェリエイトクリックしますから。
セカオワのYoutubeはコメント欄が大抵荒れてて、それは音楽と全然関係ないんだけど、それも含めてセカオワというグループが音楽をやっている環境なんだなって思うと、そんな中で頑張るってのはそれだけでもう才能なんじゃないかなって思えたりはする。
TOWA TEI – LUV PANDEMIC
大御所。
参加アーティストが20代から60代まで全世代が並ぶという、存在そのものが世代の接着剤になっていることが分かる一曲。今はもう時代の先端がどこにあるかよく分からなくなったりしてるけど、まぁきっとこういうのが2015年の音楽だったんだろうな、なんて後から聴いて思うのかもしれない。
Omar Souleyman – Bahdeni Nami
シリアのレジェンド、らしい。Four Tetプロデュース。
今年は聴き放題の音楽サービスが日本で本格的に広まった年で、世界中の音楽聴き放題!とか思うけど、結局検索しないと見つからないなんてことを考えると言語や文字が異なる文化圏の音楽にはアクセスしにくいということに気付かされた。Omar Souleymanはまだ打てるのでApple Musicで聴いたりした。関連楽曲なんかでそっち方面掘れるかな?と思ったりもしたけど無かった。iPhoneでアラビア文字を入力する方法から知らないし。もちろんアラビア文字の読み書きは出来ない。
独特の音色と乾いた歌声、一本調子が延々続くんだけど聴き飽きない不思議な音楽はもっと沢山知りたいんだけど、楽曲派の人達になんとかしてもらえないものだろうか。
tofubeats – 朝が来るまで終わる事のないダンスを
Apple MusicのCMに出てた人。もちろんApple Musicでレコメンされまくってた。
現時点で日本の若手ミュージシャン代表の一角で、その影響力に無頓着だからこそできる飄々とした活動は、大物になるんだろうな、なって欲しいな、と思わせるものがある。
この曲はクラブのダンス規制なんかに絡めて紹介されることもあるけれど、音楽の刹那的な愉しさや時間が過ぎていってしまう寂しさをうまく表現している。そもそも日本語の文法として正しくないんだけど、それでも伝わるってことは文法ってなんだろうね?みたいな方角から文学に切り込むなんてこともできるわけで、そういうきっと無自覚な行動からこぼれ落ちてくる魅力がずっとずっとあるのは本当に頼もしい。
どうか2016年も面白い年にしてください。
12月26日(土) 年末らしくない感覚はもう毎年のことだとしたら、その年末という感覚はなんだろう2015-12-26
クリスマスが終わっても駅前のイルミネーションは特に変わりなく空を照らしていてた。
12月24日(木) 紅葉の落ち葉は自然と土にもどっているわけじゃないこともある2015-12-24
昨日の雨で落葉していた葉っぱが湿っていて、このまま綺麗に土に戻るのかなあなんて思ったりもするけど、大抵は集めてゴミ袋に入れられて捨てられているんだよな、なんてことを考える。循環型社会にそれが含まれるのかは分からないけれど、落ち葉をそのまま放っておいて土に戻るのを待ったりできるのかなあ。井の頭公園の桜の花びらも池に落ちたのは最後まとめてすくっていた記憶がある。
12月15日(火) かいぼりが進んでいる池は弁天様の方2015-12-15
かいぼりが進んでいてSNSなんかにも水が無くなった写真がたくさんアップされている。それだけを見ると普段はボートが沢山ある方の池の水がすっかりなくなっていると錯覚するかなあ、なんて思ったりした。そんなこと無いかもだけど。
勘違いといえば丸井の脇から井の頭公園へ向かう通りの名前。本当は「七井橋通り」なんだけど結構な人が「井の頭公園通り」だと思われているみたいなことが分かった。
SNSが普及して色んなことが起きているけど「なんとなく結構な人が思ってそうなこと」を見ることができるようになった。
12月9日(水) Jリーグを目指すということは「まちおこし」では無いかもしれないが「まちづくり」ではあるということ。2015-12-10
先週でJリーグは今年の全日程を終えた。クラブワールドカップや天皇杯はまだあるけれど「Jリーグ」での試合はもうおしまい。
近所でJFLをやっている横河武蔵野FCが来年度からJリーグ参入を目指す方針ということを発表している。
今日はチーム名の変更のお知らせが出ていた。「横河」という企業名の入る名称ではJリーグ無理、ということで変更した。
本日、12月9日(水)に開催されました日本フットボールリーグ(JFL)理事会におきまして新チーム名称が承認されましたのでご報告させていただきます。
【新チーム名】
東京武蔵野シティフットボールクラブ
TOKYO… https://t.co/Unl4QFqc1Y
— 横河武蔵野FC (@YMFC1939) 2015, 12月 9
当面は「横河」と呼んでいると思う。前からいる人には今でも「近鉄裏」で通る土地なわけだし。
Jリーグ参入を目指す発表を知った時、ついに来てしまったかといった感情がわいた。どちらかというとネガティブなものだけど、具体的にどういうものか、すぐに言葉にできなかった。
それからずっと頭の片隅で考えていたのでできるだけまとめてみる。
今までの、のんびりした試合はもうできないのかもしれない
分かりやすい目標ができたことは良いことなのかも知れない。でもそうなると目標に向かって!スローガンの元に共に戦う!なんて風になるのは、悪くはないだろうけど、サッカーはそればっかりじゃないよね、というもの。
今までもJFLはJリーグ昇格の通過点だったわけで、Jリーグを目指すクラブと対戦したり、昇格した後のクラブを見たりすると感じることはある。目標達成に一丸となることは悪くないけれど、目標を達成してみたら他に楽しめる部分がそんなにありませんでした、あんまり勝てなくなったし。みたいなことは本末転倒ではあると思う。やってみないと分からないというのは絶対あるけれど、そんな風な残念な例、見たこと無いなんてことは無いよね。
今まで見てきた客にとっては、目標が無いと見に行く価値がないものではなかった訳で、そのあたりのバランスはきっと大きく変わるんだろうと思う。
今ツエーゲン金沢の太田康介がいてJFL2位になったシーズンは、思うような試合運びができて結果が伴って楽しかったけれど、でもそれだけじゃない。
正直なところ、大きな旗が振られ、試合前に観客席で気合をいれる呼びかけが行われる武蔵野陸上は想像つかない。もちろんそれを全否定しているわけじゃないんだけど。
スタジアムが遠いところにいってしまうかもしれない
土曜日13時キックオフの試合ならNHKの生活笑百科終わってから家を出ても間に合う距離だったのが、1時間以上前にでないとキックオフ間に合わないになったら、それはもう別物だ。
本拠地は変わらず武蔵野陸上競技場だということなので、これは取り越し苦労だったのでよかった。
Jリーグのクラブライセンス制度では、きっと今のままでは難しく、改修工事などを行わないといけない可能性が高い。地域の視点で見れば、わざわざ頼みもしてないのにJリーグ目指すということで改修するのか?みたいな波風は立っても不思議じゃないし、そういう話合いなんかはこれから頻繁にされるのだろう。他のクラブでも色々と大変そうな話を見聞きするので、単純に心配。
もっとちゃんと応援したりつきあい方を考えないといけないのかもしれない
今までは良くも悪くも傍観者だった。
コンビニに行く程度の距離、選挙があれば最寄りの投票所になる学校の隣にある場所でサッカーの全国リーグをやっていたから見ていたわけで、もちろんずっと見ていれば愛着もあるのだけど、もっとちゃんと「サポート」した方が良いかなあと考えるようになることは、良いことかも知れないけれど、どこか違和感がある。
クラブと人との関わり方には色々な距離感があって、できる限り密接に付き合ってくれる人が多い方が良いのだろうけれど、それがどんどん薄まりつつも広く浸透していくのがきっと理想だろう。今のタイミングで、今関心がある人の数が急激に増えないのであれば、その人達で熱量をあげていかないとならないのかな?なんて部分で、少しだけ心配な気持ちになる。
今のままできっと構わないのだろうけど、短期的に見ればもっと鼻息荒い人が増えることがクラブにとっては助かることなんだろうけど、人それぞれ事情ややり方が違うわけだから。
やっぱりやめました、Jリーグ無理でした、なんてことでクラブが続かなくなったら嫌だ
なんだかんだで求めることはクラブの存続、継続なので、Jリーグを目指すことが現時点ではクラブがより良くなるという選択なんだと思う。逆にいえばそうでもしないとやっぱり継続無理だったのかな?みたいな風に思ったりもする。違う事情があるのかもだけど。
横河だって、アベノミクスだとかいっても企業の存続や体制の維持は難しいことも多いだろうし、いつまでもサッカーの相手してられないってこともあるだろう。思えば練習グラウンドの周辺にあったテニスコートなんかも無くなっている。なんていう状況からJリーグに活路を見出したとして、それで本当に大丈夫か?というフワッとした不安。何事も続けていくのは大変だけど、続けたいと思う人の気持ちが多く集まればなんとかなるのかも知れない。なんとかなって欲しい。数年前に明太子を全国のサッカーファンが買ったチームが来年はJ1だ。
なんてことを考えると横河武蔵野の存在感を地域の中で高める方向にもっていくのが大事なのかも知れない
「Jリーグでまちおこし」なんて掛け声は武蔵野市では空虚というか、土日、吉祥寺の賑わいが少しでもグラウンドに行くといいですよねえ、なんて具合だったりする。
市役所で野菜配布したり、桜まつりとか運動会とか、そういう地元のイベントでも、JFLの試合と同じくらいなイベントもあったりするわけで、サッカーというスポーツ興行そのもので何かしら地域貢献がはかれるような土地ではないのが現実だ。
とはいえ、地元としてみれば「徒歩や自転車で見に行ける全国リーグ」「日本代表経験者やJリーグで活躍している選手がジュニア時代在籍経験のあるクラブ」なわけで、その存在を今の武蔵野市の中で少しでも気にかけてもらえるようにしていくことが、きっと大事なんだろうな、なんてことを考える。
Jリーグを目指すのであれば、観客動員も今までのような数百人規模、1000人超えると入場者数発表アナウンスでどよめきが起きるような状況ではいけないわけで、J3昇格には、少なくとも1000人ちょっとは増える必要がある。そうすると多少はバスや人通りが増えるのかなあ、というか増やすためにどうするのかなあ、なんてことも考える。
なんだ意外とポジティブじゃないか。
Jリーグ参入というのは近視眼的にはサッカークラブとして上を目指すことであるんだけど、もっと広い視野で地域との関わりを増やすことであるということに、今回気がついた。
武蔵野陸上競技場改修となれば土建関係の仕事も発生するだろうし、費用もそれなりにかかる。そうなると政治的、経済的な話も出てくる。今までのファンやサポーターや傍観者だけじゃない、濃淡はあるにせよ広く関わる人間が、今まで以上に増える方向に進んでいくんだろうな、なんてことを考えた。
そんな視点でサッカーと社会文化関係の結びつきを説明してくれる人が出てくると面白いかも。
12月4日(金) サンロードが賑やかにみえるのはそれはそれで理にかなってはいる2015-12-04
イルミネーションのぼんやりした光もいいけれど、サンロードのピッカピカなのもそれはそれで良いと思う。商店街ですよ、消費する場所ですよ、という意味でジャンジャンバリバリな方がテンションあがるものね。
強い印象の方が記憶に残るんだろうと思うけれど、昔まだアーケードが綺麗になる前は、駅前が年末どんなだったか、もっと暗かったかとか、あんまり思い出せない。たぶん10年以上前の記憶は光の強さとか色彩だとかはそこまでキッチリ覚えてないんじゃないだろうか、なんて思ったりする。今より青色LEDが珍しくて、青ですよ!青!みたいな感じだったような気がするけれど、それも定かではない。思い出せないことが面白くて書いているんだけど。
でもきっと、もっと全体に暗くできるなら、それはそれでいい塩梅に思えたりもするんだと思う。
12月3日(木)駅前のイルミネーションは増えるばっかりの光量を抑える方向にいけるのか2015-12-03
午前中は雨で午後から曇り。
駅前のイルミネーションは自分の観測範囲では手放しにほめている人は皆無な感じ。盛大に豪華に吉祥寺を色とりどりに盛り上げるイルミネーション!をイメージしていればいるほど、その落差があるのだと思う。これで全部?という感じ。点灯式の時からそういう感触はあって、実際、サンロードやダイヤ街のアーケードの電飾や、駅のホームやアトレのロゴの方が明るいので、蛍光灯に囲まれたホタルみたいなものだと思えば、その辺はやっぱり足並み揃えた方が良いのかも知れないねえ、なんて思ったりもするけれど、そうなるとなんで明るい方に足並み揃える必要あるのサ?なんて意地悪なことを考えたりもする。「大きいことはいいことだ」なんて前の東京オリンピックの頃のキャッチコピーだ。
今日は曇り空だったのもあって、真上に向けて飛ばしているライトが光の柱になっていて、あーこれいいなあ、なんて思ってアホ面で夜の空を見上げたりしながら帰りました。個人的にはすごく良いと思っています。
12月2日(水) かいぼりの水抜きはまだまだ続く2015-12-02
かいぼりの水抜きは一見もうあんまり水が無いようにみえるけど、弁天様の方にはまだまだあるのでジャンジャン流している。前回のかいぼりでも思ったけれど、水が無いと橋はずいぶん高いんだなあって思う。
今年は中国人観光客の爆買いが注目されたようで、確かに吉祥寺にも中華系の旅行者と思しき人達の姿をよく見かけた。
とはいえ今年になって急に増えたような印象はない。ただ、確かに言われてみればマツモトキヨシの前でトランク開けて中身を詰めなおしていたり、炊飯ジャーを幾つも持っている人を見かけるようになったなあとは思うのだけど、別にそれは、日本人だってずっと前からハワイに行ったらパンケーキを食べるのが定番だったのかというのと同じで、今年になってからの傾向でしかないのかも知れない。
今年はテロだとか安全保障だとか、世界がつながっているからこそ起きる問題に直面することが多かった。その分、日本国というのはユーラシア大陸の一番端っこにある島国で、わざわざここまで足をのばしてくるような不経済な人が少なかった土地だったということを強く感じた。
ヨーロッパに住んでいる人達は、他国へ移動することにそこまで大きな障壁がないわけで、たとえばドイツからスペインに旅行に行く感覚で日本にやってきたら、文化や習慣との摩擦は相当大きいはずだ。そのノリで来ている人達、という感覚をまず日本人が持っていないだろう。
以前、ロシア人の数学の先生だという人に「なぜ日本人は英語は話さないのか」と尋ねられて詰まったことがある。英語で話すこと自体が苦手なのだけど、確かにそうだなと思い、そして理由が思い浮かばなかった。
後になって、日本人は日本が世界のすべてであるという感覚が強く、日本語が話せれば最低限生きていけると思っているのではないかと考えた。ロシア人でさえ旅行先で英語を話すのにだ。
それと同じような感覚で日本へ来た中国人も多いのではないかと思えば、つきあい方ももっと考えられるのかもなあ、なんて事を思う。
池の水抜きをしている様子は日本人でも外国人でも、なんだか不思議にうつるのだろうなあとは思う。
12月1日(火) 公園の紅葉が真っ赤になった記憶はあんまりない2015-12-01
今年の秋は暖かったみたいで、それが急に気温がさがって冬になった感じ。井の頭公園も多少は紅葉しているのだけど、この時期こんな色だったのだろうか?みたいなことを考える。色が変わったけれど落葉しないで冬を越した木があったことは覚えている。