タカキューが本当に閉店した2019-08-27


タカキューが閉店して空っぽになった。20世紀からずっとあったので慣れるまで少し変だ。殆ど行ったことは無かったけれど。
学生の頃、タカキューに行くと店員さんに上から下までコーディネートと称して買わせられるという話があって、自分もパンツだけ見に行ったらシャツもソックスもみたいな風になりそうになったことがあった。言われるまま買えばそれなりに無難に揃えられるという点では楽だったのだけど、変になっても自分で良いなって思ったものを買いたい気持ちがあって敬遠していた。そのままずっと現在まで来てる。きっと最近はそういうやり方じゃなかったんでは無いかと思う。昔はライバルの洋服屋さんが沢山ある中での生き残り戦略みたいなものもあったのだろうけど、今はユニクロで買うのが普通な人に如何にして来店してもらうかみたいな考え方になったんだろうと推測する。ファッションが自分を表現する手段、他人と違いを生むものだった時代は確かにあって、今でもその感覚が残っている人はいるんだろうけど、多くの人がそういうのはもうどうでも良いみたいな空気の中にいるというのを寂しいと思うのか、別のところにそれがシフトしたんだって思うのか、そういうのは時間が経って振り返ると分かるのかも知れない。

そういうのを調査資料なんかを調べて持ってきて並べるとそれ風なブログになるのだろうけど、肌感覚の書きなぐりで終わり。

ロヂャースの増殖とAWSのトラブル2019-08-23


ダイヤ街のローソンだった場所に移ったロヂャースは随分せまかったのだけど、スニーカー屋だったところに2号店を作り、今度はおかしのまちおかだった場所に3号店ができる。一気にあのエリアがVIC2店舗、ロヂャース3店舗の不思議なエリアになる。昔はなんかあると東急ハンズが来るという願望含んだ謎な噂があったけれど、これはスポーツマッサージも下着屋も彫金の店もよく分からないプレッシャーがかかる。あとロヂャースがあったテナントは相変わらず借り手がついてない様子で、あの場所一箇所よりも今の場所三箇所の方がテナント料安いのかなって推測するとなんだか変なのって思う。

AWS障害、大部分の復旧完了 原因は「サーバの過熱」
https://www.itmedia.co.jp/news/articles/1908/23/news117.html

午後は頭から客先で打ち合わせしていて、AWS落ちてるっぽいですよという話になった。幸いにして自分が仕事で見ている範囲は問題がなかったのだけど状況が分からないので問題が拡大しないことを祈るしかない、みたいな状況だった。今回起きたのは東京リージョンの一部のアベイラビリティーゾーンのさらにその一部なので、ロヂャースで例えると「ロヂャース」の「吉祥寺店」の「一部の店舗」の「一部の売り場」の問題。それでもAWSを使っている所が多かったので大事に見えた。「ロヂャース 吉祥寺店」が全部ダメになったわけじゃないという所がポイントで、一部だけでこれだけサービス止まったという話は、じゃあ全部落ちたらどうなるの?ということを考えると怖い。
AWSの米国リージョンなんかはちょいちょいトラブルが起きているんだけど、東京リージョンは本当に滅多に落ちない。自分が使っていてそういう事態になったのは初めてだ。もちろん個別のサーバがトラブルを起こすことはあるし、サーバそのものがダメになるので作り直してくださいという連絡を受けたこともある。クラウドなので手軽に作り直せるし、AWSそのものが「サーバは消耗品で壊れる」という前提でシステムを組むシステムなのだけど、今回のように問題を回避するように逃げられないトラブルというのは珍しい状況だ。
そして、その珍しい状況を想定して準備したり費用をかけているところって、そんなあったらもっと景気いいよね、なんて考えた。

誰も興味なさそな曲を今日も爆音で流すわ2019-08-12


合法的に音楽をブログへ載せることが出来るようになったことは、Youtubeが普及してグレーだったりブラックなアップロードでも埋め込めた時期があるから分かりにくいけれど、実は結構すごいことなのかも知れない。ネットで音楽を聴くのはダウンロードありきだった時代から考えると無料で聴けてしまうという時点で不思議な感覚だ。余計な心配をしてしまう。

他人の目なんて関係ない、自分の思うままにできて今日も最高だという歌は、元々だいぶ尖った存在の人がそういうことを堂々と歌い上げると、説得力がありつつもこういう人だって色々やっていてそんなことを意識することもあるんだろうな、なんてことを思う。

他人の投稿記事の引用はテキストのコピペやリンクだけじゃなくなって、今ではSNSを埋め込むことも特に目新しくない。
有吉弘行がよく遅れてすみませんと書いているのは、そもそも誰に向けてやっているのか分からない事への揶揄だと思うけれど、実際ブログやSNSで更新が途絶えがちで謝っているテキストは、著名人でなければほぼ自分に向けての言い訳みたいなものだ。それがどこか面白い。

会社勤めをやめて独立して、予定がなければ外出しなくてもよくなって、気晴らしの散歩ついでに始めたホームページがブログの登場やSNSなどを経て現在に至っている。アフェリエイト広告とかSEOやアクセス分析ツールのお試しに使ったり、記事を見たところからミリメーターにラジオ出演のオファーが来たり関根さんの本が少し売れたり、ちょっとした不思議なことが起きたりしてそれはそれで楽しい。

ただ、いかんせんSNSの普及でなかなか手が進まなくなってきた。ツイッターでもインスタグラムでもフェイスブックでもスマホで全部完結するし簡単で楽ちんだ。サービスが終わってデータが全部消えたりなんてことも今のところ無い。Google+で一生懸命やっていた人は大変だったかも知れないし、ブログサービスも沢山終了しているから、そういうデメリットはあるにせよ、手軽であることはとにかく魅力だ。すぐできてやった気になる。スマホの中でみるだけなのでヘタクソな写真もそれなりに見えなくも無い。

とはいえ長く続けて他にも色々なサービスを使って気づいたのは、ただただ思いつきを誰に見せるわけでも無く書きなぐって後から自分で見るというのは楽しいということだ。
ずっと吉祥寺周辺をフラフラしていて、代わり映えしない写真ばっかり撮ってるなと感じることもあるけど、時間が経つとそれが昔の吉祥寺の風景になるわけで、その為にやることはないにしても、今の風景は実は今しかないと思うと日々同じようなことをしているかもだけど、それはそれで面白い。

吉祥寺は相変わらず移り変わりが激しくて長く続かない店とずっと続いているところがゴチャゴチャしている。SNSで最新情報を投稿する人たちはそれなりに注目を集めているし、それはそれで価値はあるけれど、そういうのも長くすると飽きてきたり、あーそのパターンかな?みたいな言葉にできない吉祥寺あるあるが面白かったする。今になって吉祥寺駅のジョージはきれい好きの写真撮っておけばと思うように、別にこれずっとあるでしょと考えてさえないようなものが変わってしまうこともあるかも知れない。

ということで、これからも適当なことを書こうと思った次第。