単純に青空はいい2020-05-29

新潟県で生まれ育った。日本海側は全体にそうだけど曇りがちでピーカンの日が続くことはそんなにない。五月の連休の頃と秋に少しあるくらいな印象。冬は雪の量が多い少ないは毎年違うけど空はずっと鈍色だ。雨や雪が降っていない状況なら漏れなく「はれ」と表現することもある。関東から日本海側に転勤になって鬱になったなんて冗談を聞くと驚くけれど、関東で長く生活すると青空を長い間目にしないということはあんまりなくて、久しぶりの青空だとなんだか気分が良い。

現実に起きている人間社会の問題はそれぞれ違いはあってもどれも深刻で、だけどそれはどこまでも人間にとっての問題で、それとはまったく関係なく空は青い。自分が辛くなると空も曇るなんていうのは文学や映像表現のテクニックなんだけど、でも身勝手なものでそんな気分になったりして、たかだか空眺めるくらいで気持ちが晴れるかよなんて思ったりする。そんな暇無いしとか思う。
実際のところは、それがそうでも無いこともあるっていうのが面白い。

テイクアウトもそろそろ終わり2020-05-27

L’Atelier Du Goûtのテイクアウトが5月いっぱいなので一度食べておこうと思って買いに行く。
吉祥寺もあちこちの店でテイクアウトをやっていて、ランチなのに予約無いと入れないカフェロシアとか色んな店のものが気軽に買えて、これはこれで楽しいかも、自粛期間だけど、みたいなことを思う。元に戻ると要予約になるのはお店としては良いのだろから複雑だけど。

自粛期間中も工事関係はやっていて、それが順調なのか多少影響でているのかは分からない。聞いた話では部材関連は輸入が絡むと遅れているという話だけど、それでも家建ててるところも解体工事も内装工事も普通に見かけた。テイクアウトのランチを食べた人も大勢いるのだろう。

本来は地味な街2020-05-22

用事があって出たついでに吉祥寺をフラフラする。オリンピックのバナーはかかったまま。他にかけるものもないしかけ替えるのも人手がいるからそのままなんだろうけど、なんだか不思議だ。

吉祥寺は周辺が住宅街なので何かあればすぐに買い物に出られる場所で、他所から人が来なくてもそれなりに大勢の人が出ているように見える。実際わりと多い。なので自粛だとか言われても許可なく家の外に出たら即逮捕みたいなことにでもならない限り、こんなもんなんだろうなって思う。

中道通りや東急周辺はテイクアウトをはじめた飲食店が沢山あるんだけど、地味に周辺住民だけである程度まわっているんじゃないかという気配がある。もちろんそれだけでお店が普段通り回せるわけじゃないんだろうけど。インバウンドに大きく頼らなくてもそれなりに何とかなるようなお店はあって、住みたい街だとかで注目されちゃって、それに乗じて一発儲けてやろうという算段で乗り込んできた所とは商売のやり方が根本から違う店が地味に続くと良いなあと心から思う。本来は地味な街だ。

自分の存在や仕事が不要不急だと思うのは怖い2020-05-17


今回の騒動で世間は様変わりしたり新しい社会とか生活様式とか色々なことを言われているけれど、フリーランスでパソコンとインターネットがあればそこそこ仕事が進む職業にとっては気軽に散歩が出来なくなったのが一番状況が変わったことだ。むしろそれ以外は他人事。テレビ番組のストックが無くなったのは大変ですねえって思うけれど、それよりもそれでも楽しいこと考えるテレビはすごいなって思ったりしている。

仕事が空いて暇になった時の散歩も、忙しくて現実逃避したくてする散歩も今はできなくなった。忙しい時の散歩はノートパソコンとモバイルルーター持参で雨でなければ吉祥寺の街中どこでも簡単な作業が出来た。いい街だ。とはいっても今は外に出る必要無いなら出るなという状況で、まさしく不要不急ってヤツだ。専門家が密集を避ければ散歩も良いですよ、なんて許可を出しちゃうような事柄。

スポーツにまつわる仕事の割合が大きいので、ここ数か月は予定が未定であるための対応を主にやっていて、再開したらその分だけ忙しくなるのは大変だなあなんて自分のことを思いつつも、もっとスポーツに近いところの人たちは散歩どころか日々走ったり大声だしたり体動かしていたことが出来なくなっていることを思うと、それが無くても生きていけるけどそれが仕事だということを痛感しているんだろうなって思う。他人の痛みには鈍感になりがちだけど、みんな色々と大変だ。

写真は2004年のJFL。武蔵野陸上でやった横河武蔵野FC-群馬FCホリコシ。のちにアルテ高崎に改名して解散した。母体は酒井法子が福祉を学ぶということで入学した学校法人。こういうチームもあった。

地元の飲食といえば松屋に大戸屋にすかいらーくに2020-05-14

自由に外食できるようになったらどこに行きたいか。できれば地元にお金を落として少しでも元に戻るようになってくれれば、なんてことはわりと考えがちで、そこに意地悪な気持ちがまじると武蔵野市にはチェーン系の本社が沢山ありますねえ、なんてことを考える。モンテローザも武蔵野市だ。最寄り駅はどこも三鷹駅だけど。
芙葉亭が閉まったとか、カプリチョーザが閉まるとか、色々さみしい話は聞こえてくるし、今は積極的に知りたくないから分かってないだけで残念なことになっているお店もあるんだろうと思う。
でもそれも含めて吉祥寺なのかもなって思う。過去の思い出が沢山積み重なっていく土地だけど、それでもその時々で時代を反映しているのだと思うと、そのお店が存在していたことと同時に無くなってしまったことも大事なことなんじゃないかって思う。
それなりにちゃんとしたフレンチも、気安いイタリアンも、これからもずっと需要があるのだろうか。そもそもいつから需要があったのだろうか。なんてことだけで結構な資料が作れそうだ。今を生きている多くの日本人のひいおじいちゃんは、きっと若い頃にナイフフォークの食事を殆どしたことない。

写真は16年前の5月14日。当時は吉祥寺が登場する朝ドラやっていた。まさかタピオカ屋が沢山できるなんて当時はちっとも想像していなかった。

都市文化生活なんてサイト名にしたのはただの思いつき2020-05-11


都市文化生活というサイト名は「都市・文化・生活」なのか「都市文化・生活」「都市・文化生活」なのか、そのどれでも良いのか、どうにだって取れるから面白いと思った、ただの思いつきだ。
吉祥寺という土地は住みたい街なんて肩書ついてしまったけれど、街に引きこもるには丁度良いサイズの場所で、平日日中にフラフラする分にはとても快適で、気が向けば適当なところで休憩もできるし、大抵のものは手に入るし、気分としての都市生活者にとってはかなり良い街だ。
今は出歩けなくて、自分の生活の中から「吉祥寺をフラフラする」という時間がごっそりなくなっていて、そんなものは不要不急なんだし、実際無くてもそんな困ってなくてその代わりに昼寝してたりするんだけど、そろそろ終わりが近づいてくると、やっぱり散歩したいなあ、なんていうどうでも良いことを考える。閉まったお店、なくなったお店、それなりに様子は変わっているかも知れないけど、それでも吉祥寺の街中フラフラしたいと思うし、きっと吉祥寺にそういうことを求めている人は少なくないだろう。
今はパルコとかコピスとかロフトとか東急とか、施設内を通ることでショートカットできるルートが無くなっている分、結果的に通りに人が集中しやすいけれど、それはそれ、歩き慣れている人間にとっては少しだけ遠回りして空いている道をマイペースで歩く楽しみだってある。

写真は16年前の5月11日。やっぱりもうだいぶ暑そうだ。